凄かった❗️❗️です。
先生のお誕生日の高句麗伝説は、驚きの連続、連続でした。
今までの高句麗伝説と比較するという次元ではないですが、初めての経験に圧倒されつずけました。映像も音響も何もかも素晴らしく、生命あるうちにこの世界に身をおける奇跡だけはわかりました。映像からもこの世でまだ知らない生物がいると見えたとき、高麗さんの言葉とひとつにあり、東明王の詩では今まで一度も経験したことがなかった衝撃が頭から身体から全身に走った衝撃は真に驚きました。女性である悲しさに縁はないなんてあまりに薄っぺらく生きて来た外側が剥がれたような衝撃でした。
ギターのリズムに顕れ、隠された神、ギターのリズムは胸の奥にまで響き、そのエネルギーに躍動します。本音とひとつになっていけるギターに生きる姿勢や仕事をする姿勢を学びます。太鼓は身体の奥にまで響き、動き、何からなにまで凄い経験のなか、終始あったのは、愉しいことでした。先生とひとつに生きれば、憂いも、悩むことなど超えた人間の持つ力そのまま顕れ、それは予想外な愉しいことに、頭では超えるときは大きな苦痛など伴なうものと勝手に思っていたようですが、そんなこととはまるでちがう愉しさに、先生とひとつに生きるとは、を経験させていただいた高句麗伝説です。
帰り道、主人と食事をする店を探していたとき、弘前にお住まいの年配の女性の方が最後は交番まで道を一緒に聞きに行き、ようやくたどり着いた店までを、自らご自分のことのように、それも楽しそうに最後までご一緒してくださいました。
何からなにまであたたかな弘前です。
凄い、本当に何からなにまで凄かった高句麗伝説をありがとうございました❗️❗️❗️