KEIKO KOMA Webサロン

生きること


13日の誕生日に開催させていただきます「高句麗伝説」を前に、「存在論」を経験させていただき、心より感謝申し上げます。懐かしい三鷹公会堂に行くことに心ときめいていました。克哲君が、道を間違え、偶然通りかかった道は母の実家があった地でした。子供の頃過ごした空気、様々な場面を思い出しました。そして、いつも「本音で生きてください」講演会にてお話させていただく3歳の頃の人生のはじまりの場所はこのエリアでした。

「夕暮れ時、母と野原で遊んでいる時、ふと見上げた空を見、昔、この空を見ていた人は今どこにいるのかが気になり、人間は何故生まれ、どう生きていくのか、死んだらどうなっていくのか、死が終わりでも別れでもない永遠の世界を求め生き始め。。」高句麗伝説でも詩に詠ませていただいています人生の出発点であった地を通り、三鷹公会堂に向かえましたことは、私にとっては意味があるうれしい偶然でした。

「存在論」にて先生から、ハイデガーは人間のことを現存在と表し、現存在とは死をわかっている存在とお話いただきました。人間が他の生き物と違うのは死ぬことをわかっているということであり、死がポイントと教えていただきました。確実に来る死、ある未来に確実に実現してしまうのが死であり、そのことをわかっているのが現存在の特徴であり、本来性であると知りました。普段は死を忘れたり、逃げたり、考えないしくみをたくさん作ってしまっていること、医療も法律も死から逃げる仕組みであること、この世は現存在とし生きていけず、日常性は全部頽落であり、空談というどうでもいいことばかりを話し、空文という、どうでもいいことを書き、人と同じであるようにし、ヘアースタイルも服装も人と同じにし、人に合わせ、人と違うことをすれば嫌がられ。。。と非本来性であるこの世の日常を先生が目に見えるようにお話くださいました。私はこの非本来性では生きていけず食べるよりも寝ることよりも本当のことがわかりたく生きてきました。講演会でもよくお話させていただきますが、子供の頃から1日の終わりに友達と分かれる時、「また明日ね」と友人が言う言葉に対して「人間は明日生きている保証はないので、明日会えるかどうかわからない」と答えていたので、おかしな子だと思われていました。

たった一度の人生とは常に考え生きています。何かをしていても、人との関係についても、このことをする為に生まれてきたのかと考えます。そうでないことはやっていられないと考え、生まれてきた意味をわかり実現したい気持ちで今も生きています。先生に出会え、今までも、そして今日の「存在論」でも人間とは何かを学び、わかる経験ができます人生は求めてやまなかった人生です。

身内やまわりにいる人の死から死を知ることはあっても自分が死ぬことは。。。とのお言葉には内面を問い、考えました。死はいつも怖いです。が、死ぬことを考え、生きることを考えるのです。死を考えると、今やっていることが意味があるか否かは明らかにわかっていけるのです。子供の頃より判断の基準は死んだ時でした。当時は神様と呼んでいましたが、私が死んだ時に神様は私の生きてきた人生を受け容れてくれるかどうかと考えました。人には評価されても神様が間違っていると捉えたら、永遠の闇と感じ、何が人間にとって善なのかと考え続けてきました。先生に出会える前はわからずに苦しみました。先生に出会い、生命のはたらきをわかり人間とは何かをわかり続けていける人生を生きることが出来、救われました。

死ぬことをわかっている現存在である人間がかすかに自分の内から生まれてくるものが良心であり、ここから展開すると先駆けていく生き方となるとお聞きし、胸の内に希望の光が生まれました。田川先生がイエスキリストをメシアではなく歴史の先駆者と表現されたお話は今日も深く感動します。ハイデガーは論理的に哲学的に先駆けると言う表現に至っていても先生はどうするかと考えられ、自分では先に行きたくても邪魔するものがあり、人と会えば先に行かせないものがあるので、その原因となっている生まれつきの運命を解放することをしてくださったとのお話には頭が下がります。はじめたことはやめられないので今もしてくださっていること、そして人には全然期待していないとおっしゃいました。私は深く合点がいきました。昨夜紙に気持ちを書き出しました。私は人に期待するので、期待通りにならないと諦めることを自覚しました。何故期待するのかと考えました。世界の平和を実現したく、一人より二人、二人よりは三人。。。多ければ多い程早く実現すると思っているからです。が、世界の平和を実現したい気持ちは自分の気持ちです。自分がやるよりないとはすぐにわかることであります。また負けず嫌いであり、一番が好きなことも問い考えました。対象化する人、世界がある故と気づきました。ふと先生は。。。と想像してみました。対象化することがないので、人に期待することも反面がっかりすることもなく、先生はやることをやり続け、人やまわりがどうであってもお一人でも世界を変えていくことは想像するまでもなく、わかることでした。今日のお話をお聞きし、先生のように生きることを目指していかないと現存在にはなれないこと、死を乗り超えてはいけないことが身にしみました。私は自分の人生を全うしていくことを考え生きていきます。今日のお言葉「自分の内にある良心に目覚め、実存し生きる」を目指します。

存在と時間について、時間は闇であるとは甚くわかります。私たちは、闇の時間に拘束され、生きています。どんどん過去を綺麗にするよりなく、過去がなくなったら量子の世界とお聞きし、今日からの「高句麗伝説」ではアナログシンセサイザーにより表現されるのだと見え、身震いします。この度は、ロシア製のアナログシンセサイザーが登場するとお聞きし、魂震えます。それを作った人は何故アナログなのかを表現しているとお聞きし、改めて先生がアナログシンセサイザーを使い始められたことの意味も確認でき、時に叶っていることに希望を感じます。人間は過去、現在、未来で規定されているものではないとはやっとわかってきた今この時です。「存在論」を経験させていただき、日付けは今日からの「高句麗伝説」の場にて人間とは何かを経験させていただけますことがありがたいです。ありがとうございます。

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