KEIKO KOMA Webサロン

存在論


高麗恵子さん、お誕生日心よりおめでとうございます。
高句麗伝説どうぞよろしくお願い致します。

また昨夕は貴重な存在論に参加させて頂き本当にありがとうございました。

自分の死を問題にすると仰られた先生の言葉をノートに記し、何度も問われる先生の言葉をお聞きしていくうちに、少しずつ前頭葉にかかる重みが溶け始め苦しい状態から抜け出し口を見つけ始めました。他人の死ではなく、自分の死を考えることはしていない自覚と共に自分自信の死を考え始めていました。
連日状況が刻々と変化する中で、自分は何をするのか、自分はなぜ今ここにいるのか、自分は何なのか、そのような問いが自分自信に迫っていました。存在論の前の夜は内が動き涙がこみ上げ、夜空とその奥に広がる木々を仰ぎ問うていました。
存在論をお聞きするうちに、わたしは親の死が怖く親の死をいつも考えていることに気づきました。親の死への恐怖感が強くなり、自分が死ぬことは一切問題になっていないことの違和感に気づきました。自分が死ぬこと、親よりも先に死ぬ可能性さえもあることを考えていました。自分の死を問題にすることは自分を取り戻すこととお聞きしたことが救いでした。例え自分一人になってもやりたいこと、やり抜きたいことは何だろうかと問う時に、自分の死を考えることによって答えが見つかる手がかりを感じました。

現象からは運が良いことを頼りに、また人の力に支えられて成り立っている自分を身に染みて感じる日々です。情けないほど自分は力がないことを感じます。

 

本日は高句麗伝説をどうぞよろしくお願い致します。

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「高句麗伝説」第2弾
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