存在
存在。表し生きる。
子供のころから一つの道を生きていく選択が生まれ、周りからも協力され、高い山がそこに在るから目指し、登ることに命の喜びを見つけ生きて来たとき、光がとつぜんのごとく閉ざされ、悩みが始まり、いだきに出会いました。
何でいだきに出会ったのか、自分の人生が途中挫折しそうだったから。そこから這い出したいためいだきに行きました。先生、高麗さんに出会えるような生き方をしていない自分だけを長いこと思い、疎外していました。
高句麗伝説は歴史の巻物。先祖が私に託した先祖の恩恵があったことだけは途中からわかりました。子供のころからあった自分の目指したい道を生きることが人生となっていました。
これも事実。
答えは一つ。ではないのです。
一神教のような頭は崩壊し、子供のころからあった目指していたこと、これも自分の命。
昨日の高句麗伝説で、先生のすべてが顕れ、会場全てをぶち抜きそうなエネルギーの音のなかで現れたのは、まことの存在は今高句麗伝説を経験させていただいているこの生命です。先生と高麗さんに出会ったという事実は事実なのです。存在ということを生命の内から受けとめました。
使命感、役割、そうなっていく勝っての自分の頭も壊れ、真実は存在となっていくと受けとめます。ありのまま生きる。命を。
京都、1日目の高句麗伝説をありがとうございます。