この時の為に生まれ生きてきた
第一部「思い出す力」
我々は本来、争う前に、正義を主張する前に、立場をもつ前に、
「生きている存在」です。
それを、思い出す力。
立場をもつ前とは、思想、国籍、職業、世代、肩書、賛否、等々が
生まれる前の状態のことです。
今、世界には緊張があります。
不安や強い言葉もゆきかっています。
しかし、その中で我々は、人間であることを忘れてはいけません。
ピアノとパイプオルガン。
ふたつの異なる楽器が、対立するのではなく、響き合います。
ピアノはひとりの鼓動、誰にも代わってもらえない生きている証、
個体の決断の音です。
パイプオルガンは大きな呼吸、世界はつづいている、場の呼吸。
今日の時間が、人が人である感覚を、
静かに思い出すひとときになれば幸いです。
第二部「愛」
愛とは「共にあることを壊さない力」
存在をそのまま肯定している状態です。
存在を否定しない、それ以上でも以下でもありません。
戦争は、否定の極端な形。
愛は、否定しない力です。
第二部のテーマは愛です。
この時の為に生まれ、生きてきたと深い感動に包まれる今日のコンサートの経験でした。8日のアントレプレヌールサロンの日に総選挙となり、10日から今日までの3日間があったので、私をはじめ多くの人は助かっていると感じていました。日本も世界も同様に感じていました。おおいなるはたらきかけにより日程を決めさせていただいていますので、こちらの日程が決まった後に選挙日となったりと偶然が重なりながら、助かる流れが作られていることを感じ、大変助かっています。この3日間がなかったらと考えますと、ぞっとします。
コンサート前に、府中の森に行き、一本一本の木に手をあてメッセージを聞き、詩を詠み、録音しました。白梅、紅梅が咲き、池には水鳥がスイスイと泳いでいるのです。微笑ましくて一人で笑いながら歩いていました。大地と木の声を聞いている時、昔の武蔵国であった頃の古の光景が見えました。10日の三鷹での先生のコンサートで見えた光景と同じでした。偶然にも今日、仲間がくれた高麗氏と高麗神社について書かれている本を読んでいた時もコンサートで見えた光景がそのまま書かれていました。古の光景を見ることができ、長い闇の時が遥か彼方の光が差し込み、光の大地となり光の芽が生まれ花が咲くと見えたことが大変うれしいことでした。はるか彼方の光注がれていることを伝えていけば一気に魂は蘇ると見えたことも喜びでした。この地で先生のコンサートをお伝えするメッセージが生まれました。森に入った時に「ここから春がくる」と聞こえました。人間が人間とし生きる真の春がここから来ると見え、今の時は今までの時とはまるで違うことを受け止めました。先生がずっとこの時を作り続けてくださったことに頭を垂れ、感謝します。
コンサートがはじまり、先生の第一音が生まれた瞬間、生命全てがここに身を置いていることを喜び、震える程喜びました。「思う出す力」とのメッセージは大変素晴らしく、人間であることに立ち戻る気持ちになります。立場を持つ前の状態こそが人間であるとわかります。ピアノ演奏に魂震える程感動し、続くパイプオルガンの音は内面深く届き、空間、全体とひとつでした。どこまでも深い静けさの中に身を置く時、無上の喜びを感じ、魂も身も震えました。どこまでも澄んだ神聖なる音に真の神に出会いました。出会った瞬間、私が求め続けてきた神とわかりました。幼い頃より神様のことばかりを考え、神観念も強く、未だに頭が縛られています。今日、出会えた神は真の神と生命すべてでわかりました。同時に真の自分を取り戻しました。今までも真の自分で生きていきたく生きようと努めてきました。神を神とわかると同時に真の自分も真の自分とわかりました。あるがままに居れました。いつも後頭部が縛られ、痺れる程何かに掴まれていると感じてきました。今日も痺れましたが、ほぐれる時に少し眠ってしまったようです。いつもであればなんてことをしてしまったかと恥ずかしくて取り返しがつかない後悔に襲われます。今日は眠ってしまってよかったと感じた自分に驚きました。完全に後頭部の縛りがとけたのです。こんなに力が抜けたことはありません。真の神あらわる神聖なる空間に真があらわる自分を取り戻したのです。幼い頃から世界の平和を祈ってきた自分の姿が現れました。自然と涙が込み上げました。この時の為に生まれ、生きてきたと感動に震えました。
第2部のメッセージは「愛」です。いつもコンサートで愛を経験させていただき、ここまで生きてこれました。今この時に敢えて「愛」というタイトルで、最後のメッセージ「第2部のテーマは愛です」と括られていましたことが心にありました。演奏は素晴らしく、愛でした。全体とひとつであり全体が愛でした。「愛とは共にあることを壊さない」と書かれていましたこともとても気になりました。体の違和感を考え続けました。自分を否定していることが見えてきました。自分を否定していると人も否定します。共にあることを壊すのはこの状態と気づきました。コンサート前に自分の反応について考えていました。自分を否定していると考えると、合点がいきました。否定も肯定も他者を対象化し見ているからするのです。生命ひとつであれば否定も肯定もありません。意識が外へ外へと向かうと、自分を見失い、疎外します。生命ひとつで生きている人間であることに立ち戻れば、自分と人を分けてみたり、対立することはなくなると頭を垂れます。意識ではわかっていることでしたが、そうなっていないことを認めました。対立から争いへと行き着く意識が違和感となっていたとわかった時、全体と溶け込み、何もなくなりました。違和感で済むようなことではありませんが、この状態でも生かされてきたことに頭を垂れました。人との境もなくなり、愛よりありません。最高に幸せを感じます。この経験なくして今後生きていけただろうかと考えました。愛をわかったつもりで自分も人も神も対象化し見て生きていけるだろうかと考えれば、生きていけなかったとはすぐにわかるのです。今日も助かったと生命安堵しました。大変素晴らしい忘れられない経験をさせていただきました。今日の経験なくしては、今後はなかったとわかるのです。今日の経験は昨日の応用コースがあり、その前の三鷹でのコンサートがあり、その前のアントレプレヌールサロンがあり。。とずっと続きます。今までの経験があったので、やっとこの時を迎えられたのです。心から感謝に震えます。
ウクライナの方のコンサートの経験を記した文章をスマホで見せていただきましたが、大変素晴らしく、深く感動しました。感動の極みであったと書かれています。すべてはひとつであったと。。。言葉は通じなくてもコンサートの経験は通じます。先生の表現は世界共通言語のようです。素晴らしいです。この経験ができる限り、世界中の人とひとつになり平和な世界を実現できます。大変なる経験をさせていただき、おおいなる存在の働きかけに感謝します。先生より表現できないというより見出せない人間の本質を私たちに公開してくださり、経験できる機会を与えていただき、心よりありがとうございます。今後のコンサートはもっとたくさんの方々と経験したい気持ちはいつも湧き出づる気持ちです。実現へと向かいます。
ありがとうございます。
