KEIKO KOMA Webサロン

統合の途上


深い層に触れるとき、
体内感覚の同期する範囲が、
少しずつ広がっていくような感覚が
あります。

最近、低音や日本古来のリズムについて、
考えていました。

海外はバックビート、
日本はオンビート。
裏の音でリズムがとれない、
日本人は中音域に反応しやすく
歌詞を重視する
という音楽解説に触れ、

そんなことはないのではないか
と、ふと感じました。
ジャズやブルース、民謡、相撲甚句などに触れたとき、
静かに心に響く

この現代音楽の解説にひっかかり、
なぜオンビートになったのかを
考えるようになりました。
答えはありません。

このことはきっかけに過ぎず、解明することは、私の役割ではないとも感じています。

しかし、
私は、日本舞踊、弓道、地唄三味線を
習っていたことがあり、
低音、低重心、丹田を感じる所作に、触れたことがあり

日本人の文化が本来感じてきた層を、
日常生活の場や、
ビジネス、関係性の中に、
持ち込めない性急さを感じています。

その環境の中で
身についてしまった

避けてきた、
反発してきた、
なければよいのにと
思い込んできた、
深層の感情や感覚。

怒り、苦しみ、不安、苦悩、諦念といった
避けられがちな層は、
生命が深いところで
現実に触れたとき、
争いようもなく
立ち上がってしまいます。

その深い層に
身体が反応したとき、
「解決される」わけではなく、
自分ひとりの循環では
到底追いつけないほど、
感覚が閉じていたことに
気づかされます。

低音域の層が、
“そのままあっていい”と
許されたとき、
押さえ込まれていた循環が、
一気に動き出すような
感覚があります。

それは、先生のコンサートや
自然、巡りの奇跡、丁寧にした関係性の中で起こります。

理解するより先に、
胸や腹、骨や内臓が揺れ、
考える前に、
全体がつながっていく。

よく
「脳は一部しか使われていない」
と言われますが、
それは能力の問題というより、
分断されている状態が
常態化しているだけなのではないか、
と感じました。

このような遭遇や
揺さぶりが起こり
受容されると
分断されていたものが
同時に巡り出し、
つながっていく。

深い層に触れる。
感情、身体、記憶、意識が、
別々に処理されず、
ひとつの場で起こりはじめる。

そのとき現れるのは、
高揚でも覚醒でもなく、
とても静かで、
重心の低い状態です。

無理に前向きにならず、
怒りや諦念を排除せず、
それらを含んだまま在る。

私はそれを、
「人間が統合されていく感覚」
として覚えています。
まだ、途上です。

低音に触れたとき、
深い層が身体を通過していくと、
身体が先に思い出すような感覚があります。

分断されていた回路が再同期し、
普段は同時に働かない領域が、
一斉に連動していく。

この分断がゆるみはじめると、
身体の循環が戻り、
消化も自然にはたらき、
巡り出す。

いわゆる
脳腸相関や全脳同期と
呼ばれるような状態かと思われます。
• 感情
• 感覚
• 記憶
• 意識

が別々に処理されず、
ひとつの場で起こる。

そこから、
本来の存在が
静かに立ち上がってくるように
感じられます。

これは、
存在そのものが
あらわれてくる
プロセスなのかもしれません。

毎日、言葉にして
いま、ここに置く。

今日感じたことは、
明日は違うかもしれない。
それも分かっていながら、
それでも置くしかない。

毎日、内面に起きたことを正確に書き表そうと精一杯です。
完成を目指す余裕もなく、
今しかありません。

喰らいつくように、
飛び込んできたものに
糸口を見出そうとして、
言葉にしています。

本当に、
それで精一杯です。

KEIKO KOMA Webサロン
琵琶湖にて
KEIKO KOMA Webサロン
仙台高麗屋にて
KEIKO KOMA Webサロン
京都高麗屋にて