現実を生きる力
昨日、「お金」や「自立」という
自分にとっての現実的なテーマを言葉にし、
意思として顕在化させた途端、
その日のうちに、
はっきりと意思表示を求められる現象が起きました。
あらためて、
空間や出来事は切り離されているのではなく、
確かにつながっているのだと感じました。
尊厳を守ること。
自分を削らない選択をすること。
そうするしかなかった、という感覚です。
後戻りできない地点に立ってしまった感覚。
どうなったとしても、
これは受け入れるしかないのだと、
ただ静かに感じています。
もし、この選択によって
関係が壊れるなら、
切れてしまうなら、
それまでだという諦めと、
それでもなお、
つながりを切りたくない気持ちが残る。
その間にある痛みを、
ただそのまま感じています。
現実的な手続きを進めるために神経を使った直後、
昨日の京都でのコンサートが、
何か月も前のことのように
遠く感じられました。
けれど、
起きたことを
起きたままに、
感じたことを
感じたままに言葉にしていくうちに、
存在は消えることなく、
静かに、あり続けていることに気づきました。
それが、とてもありがたかった。
昨夜のコンサートは、
ただならぬ厳かな音に包まれながら、
捉えきることのできない
大きく、深い存在の流れの中に
身を置くような時間でした。
ゆっくりと流れ続けるものがあり、
余計なものを、
遠心力のように
外へ、外へと運び去っていく。
風が吹いているようでもありました。
あの時間があったからこそ、
今朝、現実に向き合うための
手順や文章が静かに整い、
力が湧いてきたのだと思います。
本当に、ありがとうございます。
