語り継がれる一日
コンサートを経験させて頂くと、人間の生命は本来と違うように現代を生きている驚きに満たされます。前日の講座があったのでこのような世界があることを知る事ができました。
人間が認識したり祈ったりするまえに、当然存在し現れている神々の働きかけに満たされて、この音をわからないひとはいないと感じました。
「先駆けてわかる」というひと言に表現された世界は確かに在りました。自分を眺めたり、何かに嵌ったり主導権は自分にあると思い自我を通そうとしているうちには、既に在ることを無視して捻じ曲げようとしているようなものです。沈黙のなかに存在が現れるとき、それを逃さないとき、既に冒険は始まっていてここにいられる幸せに満たされました。神々は自由自在にどこにいても自由で既に全てが分かり、時間にも空間にも左右されない知能が開かれていました。人間の頭が数パーセントしか働いていないとされながらも、ここには全てが在るのです。人の事がわかる、先駆けてわかるという境地は既に分からない世界では無くなっていました。
情報で狭くなった人間の頭が開かれると、こんなにも神々や存在とひとつの世界があるのだと知ります。存在を狭めているから悩んだり自分を見失うということが起こるのであって、美に向かうプロセスにあれば知能が全開に開かれこんなに楽しいことはありません。
気のせいと思うような事の中に先駆けた未来があり、そのような光を体現している人たちがいるのです。分からないけどやってみるということも無く、挑戦でもない、自由でたのしい世界を経験させて頂きました。
頭が切り替わり新たな回線に戸惑いつつ、まさか京都で…という嬉しさに満ちています。
予想を超えた、狭い頭の外にあることが面白いのです。既に在る現れたことを実現していく楽しさは最も無駄が無く豊かです。
こんなコンサートが出来る、いだきしん先生の生命には既に起こり、現れていた存在を表現してくださっていたのだと感激に震えます。
ありがとうございます。
