KEIKO KOMA Webサロン

語りと語り合い


昨日は今日の語りと語り合いに参加させて頂き、ありがとうございました。申し込みさせて頂いた語りと語り合いの日が近づくに連れ、楽しみな気持ちと、詩が書けない!という焦りの気持ち半分で、最後はえーい、私はとにかく高麗さんに会いたい気持ちだけで行くんだ!と居直って楽しみな気持ちを優先して?参加させて頂きました。語りのお話しは今今を感じ、うなづくばかりでした。他の方のお話しをお聞きするのもスタッフの方のお話しも自分の気持ちと同じところがあり、うなづきながらお聞きしていました。時間を気にせず自由に生きることは日常の中ではほぼ皆無だと感じ、本当にそのように生きられるとどのような毎日なんだろうと、お聞きしていました。そして語り合いで少し理解できたと感じたのは、祈りつつ頂く、食事のことでした。高麗さんの書き込みやビデオ講演会やブォイス講演会のお話の時にキッチンラボで開催することにされた食事の会のお話の時には正直、理解ができませんでした。自分は料理を作ることや飲食の仕事が好きです。美味しいものをご提供して喜んで頂けるとそれだけで胸が開くように嬉しくなります。美味しいものをお出しできたり、頂くことは幸せだけど、祈りながら頂くというとイエスキリストの最後の晩餐の絵が浮かぶくらいでわかりませんでした。参加された方のお話しから食材となるものの生命、作る方のお気持ち、そして大変な状況にある国々の方々のことなどを感じることが美しい食事のあり方なのだと理解しました。正直、食材となるものの生命や作る方のお気持ちまではちゃんとわかるのですが、世界中の大変な状況にある方達までのことを祈り食事をするところまではまだちゃんとわかってないかも知れません.ただ食材の生命、作ってくださる方の純粋なお気持ちのお話しに、今度は自分が一杯のコーヒーをお淹れする時に同じようにしようと感じます。「明日からはその場で生まれる気持ちを表現しましょう!」と高麗さんが仰って下さり、明日は参加できないけど次回、参加させて頂くのが、また、楽しみになりました。語り合いの途中から頭が痛くなり、なんでなのだろうと考えていくと、自分はまだまだ、ふと生まれた気持ちを「こんなこと言って変だったらどうしょう。間違ってたらどうしよう」と思って引っ込めてしまうところがあり、引っ込めると言いたいのを抑えるので思いになり、頭が痛くなるのだとわかりました。こんな癖はやめないとと感じました。帰りがけに高麗さんに、これからの仕事のことで少し表現させていただき、ちょっとホッとしました。
ニュージーランドの母がクリスマスの前日に退院しました。病院では死にたくないとの母の希望があり、帰ってきたと妹からメールが来ました。「でも食欲がなくなってきているし、ほとんど寝てる状態だからいつまで生きられるかわからないわよ」とのこと。なのに妹がアップしたクリスマスパーティーの席に座っている母がいて、びっくりしてメールしました。介護士さんに支えられて座ったけどその後疲れてぐったり寝てたとのこと。しかし、自分も母のそういうところを受け継いでいるのでわかるのですが、結構具合悪くても人が来るとその席に座ろうとするし、座らせる妹の方もなんとか座らせようとする強引なところも、自分と似ていて苦笑してしまいました.心臓が悪いので苦しいと言っている母にもっと生きていてほしいと言うのはかえって酷なのかも知れないのですが、まだ生きていてくれるかもと感じてしまう日々です。自分が真の人生を生きることが母にも繋がると感じ、今日も丁寧にコーヒーをお淹れしています。
ありがとうございます。

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新作マーブリング作品
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打ち寄せる波の音 琵琶湖の畔にて
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三鷹市芸術文化センター風のホールにて