コンサートメッセージ
第一部「間(あわい)に触れ」
全体と部分の間(あわい)に触れ、その中のひとつのゆらぎ。
その大いなる揺り籠を壊さぬようにそっと手を伸ばして
沢山の変化のうちのひとつの息づかいだけをあらわす。
全体は静かにそこにあり、選ばれたひとつだけが微かに光って
生まれようとしています。
それはまるで玄牝の奥で芽生える命の最初の震えに例えられます。
夕方から深夜へと変わるこの時間帯は世界が少しずつ静かになり、
心の奥の命の玄牝がそっと姿を見せるような不思議なひとときです。
第二部「玄牝の開花」
「玄牝」とは、静けさの名ではない。
愛が世界を押し出す瞬間の名前であります。
偏微分でつかみとったひとつの愛の軌跡が世界全体の力に変わります。
全ての愛の重なりが静まりかえり、
ただひとつの愛が胸の奥で灯り続けます。
世界とつながり玄牝をくぐりぬけてきた新しい愛の形です。
第一部のメッセージを心静かに読ませていただき、繊細な微妙な表現の深さをわかりたい気持ちで、演奏を聴かせていただきました。ピアノの音は生命の奥深くに染み入り、聴いているだけで胸の奥深くは涙、涙となりました。「選ばれたひとつだけが微かに光って生まれようとしています。それはまるで玄牝の奥で芽生えている命の最初の震えに例えられます」とのメッセージをそのまま経験しました。体感では生命の奥深くが震える瞬間がありました。ひとつだけ光っているのも見えました。その光は、全体とひとつとなり、光は光を押し出すようにしさらに広く大きな世界へとひろがっていきました。心の奥深くからやすらぎ、平穏になりました。「心の奥の命の玄牝がそっと姿を見せるような不思議なひとときです」とのメッセージにも身震いし、ときめきと共にドキドキしました。自分の内に、「玄牝」の姿が見えました。生命の奥深くにあるのです。この経験をさせていただき、心底心がやすまりました。「高句麗伝説」後の変化をきちんと理解できずに、困惑する日々でした。落ち着かない状態でしたので、この経験により、やっと生命の中心が定まりました。落ち着きました。第2部のメッセージを読ませていただき、一部での経験がよく理解できました。武者震いが起こる程に素晴らしいメッセージに深く感動します。「愛が世界を押し出す瞬間の名前であります」と玄牝について書かれてありました。一部で経験したことはこのメッセージのこととわかりました。音をわかろうとすると、わかるというようなことではないと感じるのです。そのまま聴かせていただくと、涙が込み上げます。最後にメッセージの「新しい愛の形」という言葉が心にうかび、この経験であると感じました。新しいことですので、今までのことではわからないと感じます。「ただひとつの愛が胸の奥で灯り続けます。世界とつながり、玄牝をくぐり抜けてきた新しい愛の形です」とのメッセージがそのままわかる経験をさせていただき、今尚胸の内には涙が込み上げてきます。胸の奥に灯る愛があれば場も時もこえ、つながり生きていけることを経験しました。悲しみ、恨み、辛さ、苦しみとさまざまな感情があっても、光にとけていくのが涙となっているようです。じっとしていると涙込み上げてきます。
高句麗伝説後の高麗屋での北京高句麗伝説上映会の日に、狂わんばかりの悔しさ、怒り、悲しみは「屈辱」という言葉になった時、自分自身大変驚きました。とても人様には言えない激情に襲われ、気がおかしくなるのかと怖くなりました。自分の内にこんなに激しい破壊するような感情が潜んでいたのかと戸惑うばかりでした。内に過去からの重荷を抱えていては今を生きていけず、人と共に生きていけないことを身に沁みました。それ故、内も身も重荷をおろし、身軽になり、何もなくなっていかないと五女山にはとても行けないとわかりました。ましてや平和な世界実現を願ってもやれるものではないことも身に沁みわかりました。今日の先生のコンサートが一番の解決への機会です。生命の奥がやすらぎ、ここで生きれば、心すこやかに生きていけると救いを感じます。
ウクライナの方々もお国が大変厳しい状況にあり、外へ出たくない程、気が重かったようですがコンサートですっかり心がやすまり、力が湧いてきたことに皆様大変感謝しておられました。コンサートにいらっしゃるまで、不安定な精神状態だった方もコンサートですっかり落ち着いたと大変感謝していました。どれだけ救われたことでしょう。不安、恐怖程、不安定になることがありませんので、本当によかったと自分のことのようにありがたいです。
内に流れる涙の先は。。。流れるままに過ごします。大変心すこやかな状態となり、心から感謝します。さまざまな感情は感謝に変わっています。ありがとうございます。
