KEIKO KOMA Webサロン

光と変わる


第一部「玄牝」(げんひん)

老子の言葉で深遠なる女性原理をあらわします。
それは空でありながらすべてを生み出す潜在的な充満。
女性性の中に宇宙の根源的リズムを見出すもので、
子宮を「天と地を結ぶ聖なる間(あわい)」とみなす発想に繋がります。
受け容れる子宮の力が創造的受容であることが重要です。
受け容れて形にする、即ち無限を有限に、言葉を存在にかえる変換点です。
無から有を生む神秘です。


第二部「光」

玄牝(げんひん)とは闇の奥にある生成の門でありました。
そこからはじめて光が生まれます。玄牝が象徴するのは「陰」。
光は「陽」。
しかし老子的宇宙論では「陰」と「陽」は対立ではなく相互生成の循環です。
この循環を老子は「道」即ち「タオ」と呼びました。
したがたって光とは闇が自らの中から生み出した内なる子であり
闇の自己顕現、即ち愛の発露です。
光とは、闇を抱くことをおそれぬ魂にのみ生まれる理解の炎です。

全身全霊でいだきを伝えると改めて表現し、迎えた朝は久し振りに、お腹の底から沸々と力が湧いてくることがうれしい朝でした。ところが届くメールを見るにつれ、心が暗くなる自分の状態を考えるのでした。コンサートホールに着いてからは貧血が起こり、血の気が引いていくのでした。コンサートメッセージが完成し、読ませていただいた時には驚きました。初めて知る言葉にも驚きましたが、今朝の内面を詩に書いた時に見た光景に重なったのです。透明な澄んだ光の奥には闇があったのでした。どのような意味かはわからずに戸惑い、恐れを感じました。自分の内面の深奥は闇なのかと恐れを抱きました。先生のメッセージに「光とは、闇が自らの中から生み出した内なる子であり、闇の自己顕現、すなわち愛の発露です。光とは、闇を抱くことを恐れぬ魂にのみ生まれる理解の炎です」驚くばかりです。初めて知ることであり、なんて魅力的な内容であるかと心惹かれます。内面に見た光景を言葉にするならこのような表現になるのかと考えました。自分では決して表現もできなければわかることもできませんが、このようなことなのだと教えていただき、感動しました。演奏を楽しみに待ちました。太い強い音の柱が立つ光景が見える音でした。生命の芯が強く現れました。素晴しいメッセージでしたので、子宮を感じようとしました。今までであれば「空」とか「無」と表現する状態が見えましたが、無は全て在るという状態でした。無限のはたらきかけ、エネルギーが見え、ある何かになっていくのも見えました。素晴らしいことと感動します。2部は三鷹でより聴けないアリランを思う演奏に高句麗を感じ、魂震えます。高句麗の秋の風情を感じ、まるで高句麗の地に居るようでした。白頭山に行った時に枯れ葉を燃やして焼き芋を作り、皆でいただきましたことを思い出します。ぬくもり溢れる暮らしの光景を感じる演奏に魂揺さぶられ感動します。そして幸せを感じます。幸せを感じながらも突然不安になったり心が暗くなる自分の状態を考えてしまいました。人のことを心配していましたが、心配することがなくなっても心が曇ったり陰るのは自分の内に闇があるとわかります。闇から光が生まれたのに、闇を恐れ、嫌がることはおかしなこととわかりました。闇の子が光なのに、闇と分けてしまっていたことで精神がおかしなことになっていたとも感じ、心が落ち着いてきました。心が暗い状態は光と生まれ変わるのだと気づいた時、喜びが生まれます。闇も自覚し、光と変わるのです。素晴らしいことと感じます。人間として真の生き方を教えていただき、経験までさせていただけますことはありがたいばかりです。日頃苦しんでいたことや解決しないままにあったことも先生のコンサートで解明でき、解決へと先へ向かっていけるのです。感謝よりありません。

今日もウクライナの方々の感想が素晴らしかったです。内にも外にもある悪魔が見えたとおっしゃる方もおられましたし、世界の状況をすべて見て演奏してくださっているとおっしゃる方もおられました。一部が終わった時、素晴らしい経験をしながらも私の心がどこか暗いことを自分でも気にしていましたが、ウクライナの方々も一部の後は暗かったのですが、コンサートが終わった後は、明るくなり、感動がそのまま伝わってきました。いつもながら言葉は通じなくても、先生のコンサートは通じ合えますことに喜びを感じます。

キッチンラボにてパスタランチを召し上がった方々からはお喜びのお声をいただき、うれしいです。ありがとうございます。

すべてにありがとうございます。

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