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高句麗伝説に向かって


いつもありがとうございます。

高句麗伝説に向かって、これでもか、これでもかと、能力を上げるために限界、限界をどんどん上げさせられる極限の状況が続いている毎日です。歩けば37000歩の歩数計に昨日はなっていましたが、足の底が変わって来ました。赤ちゃんのときの、変な足の感じと骨折、医療過誤の傷が、変わって来て、足が熱を持って痒くなったり火がついたよな感じになったり、蚊に刺されまくって腫れたりしますが、猛烈に痒くなって身体中、虫が張っている感じがしたかと思えば首の中が曲がってぐんにゃりしたり、いつも先生と一緒にいる感じが研ぎ澄まされて来ます。風のなか歩くと身体の中は、空間で風がすり抜けるので、ぐるぐると中心軸以外の内臓が動き、変わっていきます。行動してやっていることは、外側から見たらとても貧乏でどうしようもない悲惨、破産、未熟な人である私はお金がなくてもやることがどんどん来て、やっていく目の前のことと、未来が繋がって開いていくのが見えてきます。自動的、直感的に身体が動いて、頭は考えていないような感じですが、気狂いではなくて、整理されているので手早くなんでもできますが、スローモーションで他の人が動いている感じがします。楽しそうにしている人達を見ているのが心は平和で楽しいです。
過去に生きた人も自分も他の生きている人も体感が面白いようにわかるけど、誰にもいちいち言わない暮らし方が似合うようです。
人の姿も文字もみんな裏がわかってしまうので、中途半端は全部整理するという意味が実感できるようになりました。愛から生まれたのでお金は全く後からなので、という意味もここ数日、歩いたときによくわかる出来事もありました。人に出会ってよくわかります。
とても今までは理解できなかった自分のことがようやく、愛おしくよそよそしくなくなって来ました。まだ、違和感いっぱいありますが、どうでも良くなるほど力を抜いています。
ずいぶん外側に作られた人であったと無心になることでわかります。しかし、社会的には相当な競争しない、戦わない、探究気狂いな人間であるので通用しないことがストレスなのかも知れません。
たくさん歩いて極限をやると自分のありのままがわかってきます。よく、今まで生きてきたと思います。色々整理されて寿命が伸びたとわかります。

人はやればやるほどハードルを上げてやらされることが多くなります。これでずっとやれるかといえば命はそうではない。ということもたくさんわかってきたのでもっと馬鹿になって賢いということがわかるようになるのは内面に何か答えがあると知りました。

何回も死んで生き返ったようになって治らないことの答えがすごい。ありのままで生きればいいということです。人にいちいち説明することをやめて、先生、高麗さんにわかっていただくだけでそれで良い。

一心に高句麗伝説に向かいます。

ありがとうございます。

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