ありがとうございます。
先生 高麗さん
いつもありがとうございます。
狛江高句麗伝説 参加させて頂きありがとうございます。
高句麗伝説前のお忙しい時に、先生にはご迷惑をおかけして大変申し訳ございませんでした。
自分でも何がわかっていて何がわかっていないのか整理できていない状態を先生はちゃんと受け容れて、整理して下さったのだと、先生の優しさに触れ涙が溢れました。上手くは言えないですが、ちゃんとわからないといけない時が来た事だけは深く深くわかり、わかったようなわかならないような状態は許されないのだと感じ、ちゃんと理解できたら、何か大きなものが動くとも感じられ、先生から頂いたヒントを元に『自然知性』について深く深く考えました。会場に向かうまでには答えを出すことはできませんでしたが、なんだかワクワクした楽しい気持ちで、このタイミングで高句麗伝説に参加させて頂ける計らいに感謝し、何かが紐解けるような、ワクワクを感じながらお席に座らせて頂きました。
始まったシンセサイザーとギターの音で、一気に次元が変わる乗り物に乗せて頂き加速するゾクゾクする体感になり、高麗さんの 9000年前のフェニキア と読まれた詩に何がとはいえないけれど、フェニキュアの人々の歓喜しているような 喜びを感じ 何かが知られる喜びのようなものが感じられ、自分の状態とも重なり、喜びで涙が溢れてきました。
未知に対する希望とか、知れる喜びとか 新しい世界の生き方とかとか アンコールの音も言葉にすると静かなあけぼのというような事が感じられ、新しい世界に向かう豊かな体感になりました。
『自然知性』についての答えはまだまだですが、高句麗伝説の翌日 ふっと『自然知性』のメッセージ コンサートの後 浮かんだのは、いのちほど自然はないというような事が浮かんだけれど、知性とのつながりがよくわからなくて、はたらきのように理解したのだと感じ、いのちに元々あるもの 知りたいというような欲求のようなもの 自分が小さい頃 大人になったら全部が知れると感じていた事などもつながってきて、『自然知性』につながるかはわからないですが、知ることの喜びを深く深く感じた高句麗伝説の経験をさせて頂きました。
ありがとうございます。