KEIKO KOMA Webサロン

感動の極み


第一部「自然知性」

人工的なものに取り巻かれています。
何が人工で、何が自然なのか
判然とせずわかりにくい世の中に生きていて、
いつのまにか人工物に取り巻かれて
自然がそのまま、ありのままわかりにくいのではないでしょうか。
命ある我々一人一人がこの命の自然性を育み、活用し生きてみないと、
何が人工物かわかりにくいでしょう。
「自然知性」は人間や動物が持つ生来の知的な能力の総称をいいます。
経験を通して得られる知恵を重視し、
知識だけでは得られない深い理解を生みます。
見えているものだけでなく、その背後にある未知の可能性や
不確実性をうけいれることができます。
更に自然界の動植物を認識する能力、自己を治癒する自然治癒力、
感覚を多角的に使う能力など、
多様な能力が「自然知性」です。
これら幅広い「自然知性」をとくとご堪能ください。

 


第二部「とことん自然」

第一部を終えて「自然知性」をあらためて感じ認識されたのではないでしょうか。
誕生以来の多くの様々な経験は、自然知性、自然知能が豊かに育まれて
今日を迎えています。
もしも実感に乏しいとするとどのようなことでしょう。
身体の所作ひとつでも間違った指導を受けたとしたら、
将来成長する機会を失ってしまうこともあります。
「共感」する能力は、人間が人間としての当然の事として、
自然に受け継いでいる能力です。
もしも共感能力がないとすれば恐ろしい結果を招きます。
自然知性、自然知能などの、
とことん自然に取り組んでみてはいかがでしょう。

風のホールで聴く先生のピアノの音は全体とひとつであり、光の球のようでもあり、愛に満ち、大変素晴らしく、一音一音の音を聴いているだけで幸せを感じました。音から見える光景はこの上なく美しく、幸せを感じました。自然そのものと感じる光景と体感に生命は癒やされ、心地よくなるばかりでした。愛に抱かれ、感動し感動し、感動の極みでした。この時の為に生まれてきたと感じる程感動しました。生まれてきてよかった、生きていてよかったと喜び満ちました。コンサート前にはこの一年の間によく感じた虚しさや生きていくことが大変と感じ、何もかも億劫になる感じが現れ、そうなる自分に嫌気が差していました。ここに浸かってなどいられないと気を引き締め、琵琶湖でのコンサートのご案内のお手紙を必死で作りました。ありがたいことにコンサートをお伝えしていると、心の空洞が埋まり、力がててきました。このような状態など吹き飛んでしまう至福感に抱かれる素晴らしい経験をさせていただき、涙ばかりが込み上げ、一部が終わりました。2部の前に気になることがあり、2部は魔界の中でうごめくエネルギーをなんとかしたい気持ちでいっぱいでした。一部であれだけ感動したのに何故このようになってしまったかと考えてもわからず、解決したい一心で演奏をお聴きしました。2部の音も素晴らしかったです。音が体に入ってきました。答えをだせぬままに終わってしまい、戸惑い拍手しましたが、アンコールの手拍子の時に「心配」と言葉になり、すべては吹き飛びました。心配性の私は、心配ばかりして人生が終わってしまうかと考えることが多いです。最近は本当に疲れ果ててしまい、なんとかしたいことでした。心配は魔界に使われていると見え、お腹の底から笑いと共に吹き飛びました。心配したり魔界に関わるのは、人工的なことや人為的なことに惑わされる故とも感じました。今日の先生の演奏からあらわる自然を生命まるごと体感したら、作り物に触れることの虚しさを自覚しました。自然と共に生きる人間になれると感じ、ここでなら生きていけると喜びあふれます。

ウクライナの方は、皆様自然の中にいたとおっしゃいました。メッセージを聞いていなくても先生の演奏はメッセージ通りであることをウクライナの方の経験をお聞きする度にいつもながら凄いことと感じます。そのことを感じるウクライナの方々の感性も素晴らしいです。

終わった後に、五女山の自然を表現したと先生からお聞きでき、驚喜しました。それであんなにも幸せで喜びあふれ、ここでなら生きていけると解放の喜び満ち、至福感に包まれたのだとわかりました。五女山に行けてうれしいです。最高の感動と喜びを皆様と共にでき、幸せです。ありがとうございます。

KEIKO KOMA Webサロン
感動の極み
KEIKO KOMA Webサロン
三鷹市芸術文化センター 風のホールにて
KEIKO KOMA Webサロン
浜松鈴木さんのお店です