生きているうちにも死んでからも解決できないことを解決できるコンサート
第一部「意識の入口」
意識といいますと、顕在意識と潜在意識があります。
普段我々が意識という場合は顕在意識のことをいいますが、
なんとこの顕在意識は全体の2%から5%といわれています。
95%以上が潜在意識です。
我々は毎日、膨大な量の情報をうけとり、そのうちほんの一部を
顕在意識すなわち意識します。
これらの情報の中で特に注目し認識することが
「意識の入口」といえるでしょう。
更に本日のテーマは、この意識すなわち
顕在意識の入口でとらえ認識したことが、
95%以上の潜在意識の入口をひらく可能性があることを認識し、
この膨大なる可能性の宝庫である潜在意識の入口の扉をひらきたいと
おもいます。幸いにもこの入口には鍵はかかっていません。
第二部「入口を通過して」
門も扉もない内面の入口です。
いつも不思議に感じるのですが、
人は誰にでもある内面的な深くて広い世界、
内面に入ろうともしない。
たまに、突然内面から情熱のようにわいてくる
自分らしい世界があってもサラッと無視してしまう意識。
ひょっとしたら自分の本来の姿、
あるいは求めていることかもしれないのに。
しかし今や、入口を入ってしまったのです。
戸惑いがあるかもしれません。
どのような状態であっても入口から入らない限りは、
今より成長は望めません。
入口から入っての出会いを
人生の楽しみにしていただきたいのです。
この中では幾つになっても成長は可能です。
豊かな人生の過程です。
今日のコンサートも府中のコンサートの続きのようなテーマであり、とてつもない経験をさせていただきました。普通であれば生きている間に解決できるようなテーマではないと身に沁み、感じます。先生にそのように申し上げた時に、生きているうちに解決できなければ死んでもできない、とおっしゃいました。おっしゃる通りです。生きているうちにも死んでからも解決できないことを生きて解決していただけます奇跡に頭を垂れます。信じがたい程の経験でしたが、経験させていただいたのです。
第一音から懐かしい音に心やすまり、幼い頃からのことを想い、人生を考えました。わかろうとすると慌ててしまい、今瞬間瞬間生まれる先生の音を聞き逃すことを痛い程経験していますので、音に身を任せるようにし、そのまま音を聴かせていただくようにしています。すると音と体が一体となり、とっても心地よいのです。メッセージを読ませていただいていますので、「意識の入り口」とはを意識し聴いていました。内面深くを辿れば全体とひとつであり、何もないことをいつもコンサートで経験させていただいています。今日も全体とひとつを体感し、ここで生きることが一番生きていると実感できますので、幸せを感じます。内面の深奥は愛です。意識が愛を認識すれば、95パーセント以上の潜在意識の入り口をひらく可能性があると感じる瞬間があり、内面奥深くを感じることがとても喜びであり希望でありました。愛を経験しました。第2部では、内面的な深い世界、広い世界に入ろうともしないというメッセージの言葉が気になり、体の反応からも「内面から情熱のようにわいてくる自分らしい世界があってもサラッと無視してしまう意識」という言葉がぴったりな状態があり、何故かをずっと考えました。「入り口からはいらなければ成長は望めない」「この中ではいくつになっても成長は可能です」の言葉もずっと心にありました。演奏から浮き彫りとなる反応、感覚はあるところまでいくと人の言うことを聞かない自分特有のものでした。あるところとは芯に近づく感覚のところです。話は聞いていても話を受け入れていないので聞いていないと等しい状態とはこの感覚であるということを初めて認識しました。故にこれ以上は変わることはありません。より成長するなら変わった方が良いことは聞けば良いとわかりますが、全く聞く気のない自分の状態を認識し、老化現象のようだと感じ、恐れを感じました。コンサート前には、病気や高齢により、動けなくなった方のお話を何人かの方からお聞きしました。いつもよりはずっと多かったので、気になっていました。いだき講座で先生が生命賭け、生命に負担がかかる状態を解放してくださったり、コンサートでも生命かけ、限界の壁を打ち破り解決へと向かう表現をしてくださり、私たちは今までであれば、生きて解決できることでない状態を解放していただいています。今までのように年をとり、動けなくなる生き方ではない生き方ができると考え生きてきました。話を聞いていないと認識できた今、どうするかを考えていけるようになりました。変えた方が良いことを変えずに生きていることは、滅びや終わりに向かいます。今日、気づけ、認識でき、今日も生命拾いしました。生命の芯にあるものでした。この変わらない状態が、内から情熱のようにわいてくるものがあっても無視していくのだとわかりました。内面深く辿ることをやめてもいるのです。可能性の宝庫の扉を認識できないことで締めてきたのだと見えました。認識できた今は扉があき、内面深くを限度つきではなく辿っていけます。ただ事ではない経験です。生きてこのような気づきが起こるとは。。。真に救われました。今日の経験を表現することは尽きない程多くを学びました。今後もより理解していけますことが希望です。
コンサート前には克哲さんの「食と健康」講座も一席も空きがない状態で、やすらぎの空間に抱かれ、楽しく学ぶことができました。42年前に同じ会場で応用コースを開催し、私は一人で受付も全てしていた場所です。まさか42年後に先生の息子さんの講座の受付をする日が来るとは想像もしないことでしたが、楽しく喜びでした。
ウクライナの方も戦争から癒しへと気持ちが変わり、今日も大変助かったと感謝しておられました。最後の演奏がウクライナのおとぎ話を表すものと大喜びでした。ここはウクライナと瞳を輝かせ、とても元気になっておられました。ニュースではキエフで今日もたくさんの方がお亡くなりになったと報道していました。一刻も早く生命が犠牲にならない状況となりますことを切に祈ります。
ありがとうございます。