日本人であること
狛江での応用コースをありがとうございました。
今回は、7月の配信でお話しのあった、ヘーゲルの意識が発展していくお話しについて、質問させて頂きました。
意識の出発点である、「余計なものが何もないところ」を、自分の状態として自覚できるか否か、という質問をさせて頂きましたが、先生のお話を聞くうちに、その問いにはあまり意味がないことに気づきました。
それよりも、余計なことを無くすことに注力したほうがよいとわかりました。
日本の伝統文化では、余計なことを無くすことで次の高みに進むことができ、このサイクルを生涯を通じて繰り返すことで、芸道の神髄を究めていけるというお話をお聞きし、かつての日本人の生き方には「限界がない」ことがわかりました。同時に、この無限のありかたが、出発点である「余計なものが何もないところ」と繋がった気がしました。
このお話しを踏まえますと、自分が独学して実践している「自然農法」などですら、ひとつの枠組みであり、通過点にすぎないことがわかります。現代は技術的な側面ばかりに腐心しがちですが、かつての日本人の生き方に着目すると、時間軸が加わることで大きく視野がひらけ、独自の発展性が望めます。
また、今後、異常気象が常態化することが予想されますが、そのような自然の変化に適応するためには、意識が自然と一致する生き方が不可欠と考えます。
今年に入り、3日先の天気予報が頻繁に変わるほどに気象の変化が激しくなってきたと感じています。先生が子供のころ、お父様の田んぼの水の出し入れのために、雨を予想していたお話しをお聞きし、まさに今後の人間の生き残りに必要な能力と感じます。
このお話を配信で聞いてから、毎日、空を見上げて雲のかたちや風の向きなど空の状態を観ながら、天気の状態を把握・想像してみることを始めました。そして、天気図などの科学データを見て答え合わせをすることが一つの楽しみとなっています。今はまだ自然を対象として理解・予想することが中心ですが、天気予報のない時代に生きたかつての人々が行ったように、感覚・感受性をもとに天気が予想できる能力も身に着けていきたいです。
ありがとうございます。