秋の空
応用コースに向かう空は細かな鱗雲が列を作って広がり夕焼けに照らされ、今日から秋、と感じる空気に満ちていて、季節が変わったことを知ります。
先生のピアノでは初め両眼ではなく右目から涙が流れつづけていくのを不思議に感じていました。亡くなった人は体の悪いところも良くなった状態で生命エネルギーとなり生きていることをお聞きし、母も元気な状態で生きていることを嬉しく感じます。お話の中でも、いだき講座、コンサートで何がされているのか、核の無力化の意味がよくわかり、大変な講座の時間でありました。このようなことをできる先生に出会っていることは、至高すぎる、と言葉になります。
世阿弥の名前を何度か聞いています。故郷の海岸通りを自転車で走ると、人の駅・世阿弥があり、世阿弥が佐渡に流される前に最後に申し出て立ち寄った地があります。若狭は今も能・狂言がは能が盛んだそうですが、世阿弥のおかげで97神社があるうちの47神社に舞台が作られていると聞きます。世阿弥の名前を前から公園の看板でチラチラ見ていて、なんでこんなところにあるのかと、前から感じていました。応用コースのお話で世阿弥の能のお話をお聞きし、改めて認識します。小浜の風光明媚な海をみて母と一緒にいったことを思い出し、涙が込み上げます。世阿弥はこれからいく未知なる地に向かい、美しい海を見ながら心を整えて色々なことを考えておられたのかもしれないと感じます。佐渡から帰られてから能楽を大成されたと記載されています。
9日は、長崎に原爆投下された日で、長崎市長のお話や、女子高校生の合唱を聞いていました。若い世代に持ち込まれ解決を見ない問題を具体的に解決の道を見出された先生のお働きに、これ以上のお働きはない、と目を丸くいたします。今まで亡くなられた人たちがきれいな膨大なエネルギーになり、空間を変えていける事にこれほどの希望はないと、人類の未来に明るい光を見出すことができました。
死は終わりでないとの新しい概念のもと、生きていく人たちが増えていくこと、先生のコンサートにたくさんの人たちが参加されることが世の中を変えていけるのだと分かりました。睡眠負債のお話も、ありがたく、早速、昨晩から実行し、リズムを作っていくことが大切だなと感じます。何もかも新しい気持ちで出発するよりない今、生まれ変わったように生きていこうと思います。ありがとうございます。