「高句麗はみんなのいのち」
何ゆえかはわかりませんが、昨夜は、何かをかぶっている感覚が苦しく、眠れぬ夜を過ごしました。朝、「魂」コーヒーをいただきたく、体がしんどい中、必死でコーヒーを淹れ、メッセージに心澄ましました。魂輝き生きれば、世界をも変えていける人間であることを毎日コーヒーを淹れながら教えていただいています。コーヒーはこの上なく美味しく、邪を祓い、心身浄められます。今日もコーヒーをいただいた後は、丁寧にひとつひとつを行い、次第に自分の感覚を取り戻すことができました。コーヒーをいただいた後に明らかに心臓のまわりに女性の何かのエネルギーを感じたのです。私ではないエネルギーでしたので、かぶっているのだと考えました。今日は普段は行かないところに行く予定の日でした。行けるかと不安になり、気が遠くなる思いでした。諦めと生きる気力が失われていく状態は、異常であると気づき、何とかしたい一心でした。慌てれば慌てるほどにパニックになりそうでしたので、食器を丁寧に洗ったり、衣類を丁寧にたたんだりするだけで、心が静かになり、空間とひとつになれることがありがたく救われた思いでした。自分の気持ちを取り戻した時には、「生きていける」と喜びが生まれました。そして人の気持ちを感じるとぬくもりを感じることもとてもうれしくありがたいことでした。何かのエネルギーをかぶることはよく経験することですが、今後は何とかできないものかと今日は考えました。先生にもご連絡をさせていただき、体からかぶったものは抜けていきました。ありがとうございます。今日も渋滞が多く、普段行かないところを2箇所まわりましたので、大変神経を使い疲れましたが、無事に終わり、帰宅でき、ありがたくほっとしています。
家に帰り、書斎の机の上に立てかけている革のマーブリングカバーがしてあるノートを手に取りました。自分で「五女山」と名付けたカバーです。私には五女山が写っているように見えるのです。本の原稿を書くつもりで机に向かいましたが、初めてそのノートをひろげ、生まれるままに詩を書きました。目の前には父の遺影があり、「高句麗はみんなのいのち」と先生の桐箱の書が心に飛び込んできました。偶然にもノートに書いた詩と同じであったことに驚き、喜びました。いのちの言葉を記し、人生をひらきましょう、と皆様に申し上げていますので、私もノートに生まれた言葉を記し、人生をひらいていこうとわくわくしながらノートに向かいました。とても豊かな充実した時間となりました。これからは毎日この椅子に座り、この机の上でいのちの言葉を綴っていこうと力が湧いてきました。
人は動かなくなっていますので、まったく動かなくなる前にもっともっとコンサートをお勧めさせていただこうと考えます。先生のコンサートが満席であり盛況であってこそ、世界が大きく変わると見えます。世界を変えるコンサートを満席にし、世界の為になるはたらきができれば幸いです。次の八月五日三鷹でのコンサートはたくさんの方々にお越しいただけますように表現して参ります。先生のお働きを知ったなら、こうはしていられないと考えるのが人間であると考えます。皆で向かっていければ、もっともっと世界に影響します。可能性の扉をひらいていく時と考えます。今日も無事に過ごせましたことに感謝します。ありがとうございます。