京都の3日間をありがとうございます。
迎賓館での演奏後に、「原動力」についてお話しくださり、ありがとうございました。
その前日、18日。二部のコンサートメッセージの意味が理解できないまま演奏が始まりました。後に、高麗さんのWEBサロンに公開されたメッセージを読み返すと、「原動力」は、私にとってそれは過酷に感じられ、胸が圧迫されました。自分自身が強くなり、それに立ち向かうより生きる道はなく、それを受け止めるよりありませんでした。
先生が以前お話しくださった「国家、組織に臨む力、生命」のことが、重なって、重くのしかかってくるように感じられました。メッセージにも「生まれつきの本性をあらわし生きることが必然になります」とありました。その必然に、身を震わせながら、自分の命、本能は、今、何をしようとしているのかと考えました。
いつもライブに参加してくださるアラビア語圏のムスリムの方と、このコンサートメッセージについて話をしました。私は彼女に、「生まれつきどうだったか?」と問いかけました。彼女は、恐怖について話し、最終的には「ライブコンサートに参加したくない」という正直な気持ちを伝えてくれました。私には、受け入れがたいことでした。今までであれば、この話で、お礼と別れの挨拶で終わっていたかもしれません。しかし、そのように感じているのは、彼女だけではないと気づきました。私自身の中にも、その恐怖がありました。けれど私は、気づくことができれば、その恐怖から抜け出せるのです。しかし、彼女はそうではありません。まして、イスラム教の戒律の中で生きているのです。「原動力」のメッセージが、私に語りかけてくるように、胸を圧迫します。行き場のない気持ちとなり、涙がにじみました。先生と奥様の話からも、どのようにして乗り越え、生きてこられたか、そのプロセスを経験させていただきました。
ここからがスタートだと、受け入れるよりありません。「生まれつきどうだったか?」という問いから、正直な気持ちをわかり、これからの人生を切り開いていくときです。そして私は、あらためて彼女に、自分の気持ちや考えを伝えました。彼女からは「少し時間が必要です。でも、コンサートとそのメッセージにはとても感謝しています」と返事が届きました。このように、内面に深く向き合う機会をいただきました。この経験を社会の中で、どのような言葉で、どう表現し、どう伝えていくかが、私に問われています。
誠に、ありがとうございます。