KEIKO KOMA Webサロン

ニュージーランドから


京都コンサート、迎賓館コンサート、そして毎日のビデオ講演会ありがとうございます。京都コンサートから始まるいだきコンサート、そしてその直後に母に会いにいくことは何かの大きな変化の時と感じておりました。京都でコグリョカフェに久しぶりに参加させて頂き、高麗さんに読んで頂いた内面の詩はまだまだ自分は自分を表してないのだと凹みながらも高麗さんの仰ってくださることは本当のことなので言って頂いた瞬間、自覚があるのです。コグリョカフェに行かせて頂いた後、コンサート会場のオープンまで一人で自分の気持ちを整理する時間を過ごしました。京都コンサートは晴美様のご命日前のコンサートですからなにがあっても行かなければと感じ行かせて頂きました。京都応用コースのお話しを聞かせて頂き、翌日京都コンサートのメッセージを聴かせて頂き、始まりました先生の演奏は大きな変化の時に自分によく起こる現象があり、これから大変化の時なのだと自覚しました。翌日、迎賓館コンサートを聴かせていただきながら成田に向かい、思っていたより全くスムーズに出国でき、無事オークランドに着きました。着いた日から今日までに二度、妹が私にキレていだきのことから始まり、私が妹の大変さを一つもわかってないし力にもしななってもくれないこと、こちらにきて一人で子供を育て、豊かな暮らしを築いてきてこれからと言う時に母が歩けなくなり、オムツとなり、介護で心身ともに限界になっていることを感情的になりながら訴えてきました。二度とも妹なのでついこちらも感情的になり、勝手に検索して見た作り上げられたいだきの情報にしても私の生活のことにしてもめちゃくちゃに言うので日本国内だったらキレて帰りたい気持ちでした。母は母で頭はボケていないので妹はこんなふうになった自分の面倒を見るのがうんざりしているのがわかるし、心臓が苦しいことも結構あるから生きているのが辛いと言うことを訴えてきます。自分がこの時にここにきた意味を考えなければと考え、私に使ってと言われたゲストルームに入り、いっとき一人になり考えました。「日本に連れて行ってもらうと言う選択だってあるんだからね!」という妹の言葉があったのでそれも施設の確保も含め考えました。妹の気持ちも考えました。母には生きていてほしいのに、介護がとても大変で自由になりたいと考える。それは母の死を意味するからそんなことは考えたくないというジレンマにお金はあっても精神的にも肉体的にもいっぱいいっぱいになっていることがわかります。母は母でそれをやってもらうことは母の性格からして辛いのだとわかります。介護に来てくれる人にも私にも、「やってもらうよりやってあげる方がどんなに楽だろうと思ってしまうのよ」と話します。母と2日過ごして母が食欲があることがわかり、まだまだ生きられると感じ、大げんかの後でしたが、妹に気持ちをそのまま表現しようと、「ママの食欲を見ているとまだまだ生きていてくれることを感じる。自分は離れているからわからなかったけどニュージーランドにいる間はおむつ替えも食事もお姉ちゃまがやってあげてねと言われてやってみてその大変さもわかった。本当に日本に連れて行こうかとも考えている」ということを話した時に妹が「そうは言ってもそれはかなり難しいし、こちらで施設に預けようかと思ったけど、施設に預けた途端、ボケが強くなってしまったりなくなってしまう人が多いので自分はそれはまだできないことを考えると幸いお金はあるので自分がもう少し頑張ろうかなと考えている」と自分で答えを出す話しをしてくれました。その後もこの数年車椅子で一日過ごすようになる前、歩けなくなりつつあるのに夜中に自分でなんとかトイレに行こうとして大変なことになった時のことなども事あるごとに話してきますが、心が少し落ち着いたのを感じました。母も夕食の時など楽しそうに食べていて色々大変なこともありましたが来て良かったと感じますし、離れていてももっと母とも妹とも共に生きて行かなければと感じます。そして親族だけではなく人のことをもっとわかって生きて行かなければと感じました。明日帰ります。明日からは生き方改めて生きて行こうと感じます。もっと真剣に自分も人も幸せに生きていく道を歩みます。ニュージーランド滞在中も迎賓館コンサート、ビデオ講演会を聞かせて頂くことができ、母には魂コーヒーを飲ませてあげることができたことに感謝よりありません。ありがとうございます。

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京都にて
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6月4日
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東京高麗屋にて