人生変わるコンサート
第一部「『無』への旅立ち」
今回は宇宙の「無」への出発です。
「無」とは何もないと書きますが、何もないこと程豊かなことはないというのが
我々人類の発見したことです。
もちろん、まだ「無」の探究は果てし無く続くでしょう。
まだほんの入り口を通ったばかりといってもいいかもしれません。
それもあり宇宙の「無」への旅立ちを企画しました。
なんとも不思議な企画です。
宇宙に「無」というステーションがある訳ではありませんから。
無限は限りなく「無」と記します。
「無」即ちゼロの発見はどこまでも大きな世界をあらわせます。
しばしの時、列車の一席に坐り、
この美しい星々が輝く宇宙空間に見惚れてしまいます。
この見惚れてしまう美しい星たちは「無」から発生しました。
見惚れてばかりはいられません。
「無」への旅ですから。
第二部「縄文の人々の心、魂」
今や縄文は忘れ去ってしまったかのように思いますが、
外来文明に侵されない数千年間、日本列島に数万人の人々が住んでいました。
一ヶ所にみんなで集まっていた訳ではありません。
豊饒で豊かなこの地で人々はどのように生きていたのでしょう。
何千年も外敵に犯されることはなく、ほぼ戦うこともなく、
独自の文明、文化を作って生活していました。
現代人の頭脳では思い描くことはできません。
様々に研究され表現されていますが、どれも現代人がみた縄文時代の解釈です。
それをことばで表す訳ですから、確かに手がかりは得るにしても
どこまでいっても手がかりにすぎません。
とても大事な手がかりに違いありませんが。
我々のいのち、しかも内面に一般的にいうところの
心、魂として現代も燦然と輝き、
生きる力、愛を創出する縄文の心、魂です。
今日の銀河鉄道にご乗車頂いた方々はそのままご理解できるでしょう。
一部がはじまるとすぐに銀河鉄道に乗車できました。「無」という状態はイメージしていたものであり先生の表現から見え、感じる世界は初めての経験でした。「無」は全ての存在が存在していました。無とは全て在るとわかり、たいへん驚きました。最初は未知なる世界が怖いと感じることもありましたが、パイプオルガンの演奏になると、広大な宇宙を旅しているようで、広い世界に身を置いていることが自由で豊かでした。星々も、無から生まれたのだとのメッセージがそのままわかり、自分の内にも無数の星が輝いていることを感じました。無は時間がないと思っていましたが無限にあると感じられる体感があり、普段時間に追われ、管理され生きることの異常さも実感できました。時間は無限にあるとわかるとやりたいことを実現するまでやり続けていけば良いと安心するのでした。
第2部は、縄文の心、魂に救われました。対象化する意識の限界を感じ、生きていけない不安もありました。人も物も自分でさえも対象化し二つに分けていく意識が苦しくて限界でした。現代人の頭は限界と痛いほど感じています。演奏からは全て一つを経験しました。自分を抱く存在を感じ、「生きていける」と安堵します。自分も人や存在を抱き、抱かれ、抱き、支え合い生きている人間を感じ、「生きていける」と安堵します。生きる世界も分け、正しい、間違いと分け、隠す隠されると分け、2元論となる世界で生きることは苦しいです。全て一つ、生命一つを経験すると争いなど起こる訳がないと生命を持ってわかります。人間は生命一つで生きる存在とわかり、生命一つ、愛を取り戻していけますことに感謝します。いつも生きていけるように最も必要なメッセージを送ってくださり、メッセージをそのまま経験させていただけますコンサートがこの世に存在することを世界中の人にお伝えしたいです。スタッフミーテイングの時に先生のお誕生日の京都コンサートを満席にしたいと話し合いました。向かい続けていく気概と勇気が生まれました。今日のコンサートを経験し人生は変わります。やりたいことの実現に向かえますことに感謝します。生命拾いした今日の経験です。自分の体のことも対象化し見る意識では生きていけないのです。ありがとうございますでは表し尽くせぬ感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございます。