東京にて
小雨が降る比叡山から仲間に見送られ、無事に東京に着きました。はじまりのコンサート翌日は、いろいろ考える機会となりました。ひとつには時間にコントロールされる生き方をなんとかしたいと望み、経験させていただきましたコンサート後は、今まで恐怖と感じてきたものは、作り物であったと気づきました。作られた恐怖にひっかかっていただけに見え始めたのです。人間とし真を前に偽ることや自己を偽ることの恐ろしさについて考えました。人は鏡でありますので、何か嫌な事が起こった時に人のせいにしてしまえば考えることもなく、生きてしまいますが、人間は内的環境が外的環境を作りますので、人のせいにし解決はないことは身に沁みわかっています。また、先生は自分の内面を写す鏡とはお会いした時から感じていたことです。自分の内面や生き様が映し出されるのです。自分があらわれているのに、人や先生のせいにすることは、真をわからずに偽っていくことと見えるようにわかります。ましてや先生は生命賭け人の生命と一体となり、解放へ向けての表現をしてくださっています。この事実をわからずにいることは真に恐ろしいことと感じます。昨日のコンサートの時に、先生の存在が現れたら、一瞬にし作り物は木っ端微塵に崩壊する光景が見えました。存在あらわるとはこのようなことなのだとわかる場面でした。最近は、自分が追い込まれていく感じが何かを考え続けました。起こる現象に不満を感じ、自分の内には答えを見出そうとせずに、どんどん追い込まれていくのです。逃げている故に追い込まれていくのだと気づいた時に、ここに居ることに徹して生きようと生き直しました。ここに居ると、現実がよく見えてきました。自分のこともよく見え、認めると答えも見えてきました。先生がアントレプレヌールサロンの時に問題を正しく認識することから考えることを教えてくださり、大変助かりました。ここに居ることができるようになりました。そして京都での応用コースにて問題がありながらも先へ向かう事が存在あらわることとお話しくださり、これでいくと生き方は決まります。昨日のコンサートにて、恐怖を真正面に受け止めました、終わりや滅びに向かう時間は過去のことであり、今を生きる私たちはいだき講座を経験し過去から受け継がれた運命は解放されていますので、終わらない生き方、滅ばない在り方を作っていけばいいと、ここに書いていれば当たり前に感じることが中々できずに恐れを感じていたことに畏れ入ります。今は不安をそのまま受け止め、何をするかを考えるようにしています。何があっても揺るがず、意志を貫く生き方を復活後の講座、コンサートにて学び、経験させていただき、次第に内が養われてきました。先生が入院中は闇のど真ん中にいるようでとても不安定でしたが、その経験を経て、復活された先生の講座、コンサートを経験させていただき、新しい時代を生きていけますことに感謝します。
比叡山に集った仲間は今日も帰京前に6月23日のコンサートをお伝えしてから帰ると話していました。京都コンサートホールのお席がたくさん空いていることは活動する私たちにとり、心傷んでなりません。様々に経験したことを活かし、6月23日に向かって参ります。私はお一人お一人に丁寧にお手紙を書くことが楽しくなってきました。腱鞘炎になった時からペンは持てなくなりましたが、筆は持てるのです。最近は気づかずにペンを持ち、お手紙を書いていました。お手紙を書いていると、思わぬ表現が生まれ、自分でも驚き、表現できたことがとてもうれしいのです。先生のコンサートをお伝えしたい方がおられ、お手紙を書けますことはありがたいことです。存在あらわし生きコンサート満席に向かいます。
ありがとうございます。