愛
第一部「甦る感性」
「現代的感性」という言い方があたっているかどうかはわかりませんが、一人一人が当然自己の感性がある訳で、それを充分承知の上で現代の諸相を鑑み、現代的感性とあらわします。
現代的感性を一度解体し、
どのような感性が甦るかを試みます。
第二部「現代の『恋』に愛はあるのでしょうか」
寝ても覚めてもただひたすら恋焦がれるが故に恋というのでしょう。
このような状態を恋だとすれば愛とは異質でしょう。
愛はなくても恋は成立し得るのです。
しかしながら、どうしても愛ある恋を望むでしょう。
ここからどうしましょう。
内面豊かな感性が甦ったら
自ずと答えが得られるでしょう。
大変興味深いメッセージをお聞きし、コンサートで自ずと答えを得られることが大変楽しみに演奏を聴かせていただきました。一音目から次元の違うあまりに清らかで神聖なる美しい音に生命浄められました。生命の内は美しいことを感じ、心静かに内を感じることができました。現代的感性とのメッセージを心に自分の感性を感じるようにしました。怯えたり、人やまわりの目を気にする感性など感性とは言わないとは一瞬にしわかります。先生の音は神聖なる水の雫の様に清らかで美しいです。神の雫という言葉が生まれました。人間の生命を癒し、浄めてくれます。私は裁きの神ではない大自然とひとつにある自然の神に抱かれたように心身安堵しやすらぎました。後頭部の縛りが解け、ほぐれていきました。まだこんなにもほぐれるものがあることに驚きながらもほぐれてくれることはありがたいことと深く感謝の気持ちが生まれます。自然に宿る神と一つである感覚が最も生命やさしく安堵します。この感覚で生きていければ、不安や恐怖に怯えることもなく、余計なことに神経を使うこともなく、自然の生命とひとつに生きていける希望を感じました、心身ほぐれ、力が抜け、とても楽になりました。メッセージを書き写す時に先生はこのメッセージの背景をお話しくださいました。壮大なお話しです。壮大な背景があるメッセージを短い文章に表していただき、ピアノ演奏により表現してくださり、ありがたい限りです。人間の生命の歴史が生命の内に刻まれていると考えますと、先生のコンサートを経験させていただくことで生きる上で最も必要な感性が蘇るとはこの世の奇跡と考えます。奇跡を経験させていただけます人生に感謝します。
第2部は、「これからどうしましょう」との問いかけにコンサートの経験に答えがあることがうれしく楽しみでなりませんでした。2部も一部同様に心身やすらぎ、全身の力が抜け、とても心地よく、愛に満ちる世界に身を置けますことの幸せを感じました。生命は愛を経験し愛をわかっています。が、意識は愛をつぶすように使っています。我が強く、愛をぶち壊すのです。恋焦がれる状態は愛とは異質という表現をお聞きし、我のひとつであるのかと初めて考えました。愛はなくても恋は成立し得るのですとのお言葉にも驚きました。恋も愛も生きる上で最も大切なことが間違ってとらえていたら、不幸なことと考えます。先生のコンサートで経験する状態は間違いなく「愛」なのです。愛を経験しても愛を表現しなければ潰している様なものなのだと感じました。愛に満ち幸せを感じ素晴らしい演奏に感動していたのですが、最後に突然我が出てきたのです。よく出てくる感覚です。愛とはほど遠い自分勝手な意識です。とても苦しくなりました。せっかく愛を経験し幸せであったのにと焦る気持ちにもなりました。が、先生のコンサートなので、自分の弱点が浮き彫りとなるのだと受け止めた時、アンコールの手拍子により先生の音に合わせて手を叩くと、愛に満ちたのです。自分勝手な意識は消えていました。ほっとしました。これからを生きるのはこの手拍子の感覚とわかり、ギリギリセーフと生命拾いした感覚でした。コンサート後に先生にお尋ねしました。愛はわかっていても自分勝手になることはあるのでしょうかと。。。頭が古いとの一言で合点がいき、笑いが込み上げました。よくわかったのです。愛に生き、愛を実行する活動をすればいいとわかるとこれからの活動がうれしくて楽しみでならなくなりました。わかることは喜びです。今日も素晴らしいコンサートを経験させていただき、弱点を解決でき、これからを生きていける心身を養っていただき、大変助かりました。大いなる存在と共に生き、愛に生きていけますことに感謝します。ありがとうございます。