光ある創造の時
狛江での魂の語りに参加しました。
1988年に小倉で「高句麗」のタイトルで開催されましたパイプオルガンから始まりました先生の演奏に一気に内なる魂は飛翔します。高麗さんの詩と音と映像はひとつ、深く深く胸の奥に浸透し、内なる魂はさらに好きでたまらない高らかな音域に「魂の住まいはここ」と言っているようです。素晴らしいピアノ演奏と詩と映像がひとつの世界につくづく魂魅了され堪能しました。東明王様の仲間と生命ひとつに国の砦をつくった光景がまるで見えるようにありました。古代であっても、王の愛と叡智により生きること全てにわたりプロデュースし、それぞれの仲間達がそれぞれを分担し、みんなが力携え人が温もりある生きる場をつくっていった感がするのです。まるで今の高麗さんのあり方そのものと感じます。生きること隅々までピアノの音は世界に鳴る鐘のように、光のシグナルを内なる胸から世界へ広げていくようです。川のほとりの詩でコーカサスの詩が詠まれました時、胸が動き涙こみあげ、自分にもコーカサスの魂があるのかと、初めてのことでした。天からの風、大地からの風ひとつに青い風が吹くの詩は、映像とともに私の内に新たに創造する光景をそのまま見せてくださいました。内には遥か彼方まで通ずるひとつの光の道が見え、映像と一つであった時、この道をそのまま外に表せば、世界を変えることができる予感に満ちました。後半に詠まれました、真実は歪められている慟哭の詩により、私の胸もひとつに動き、今の時の真実が歪められ闇がまかり通る世界にどうにもならない気持ちが胸を走り、その人しかやれない何かで、人間が健やかに生きていけるフィールドを創っていける希望に満ち得たのです。今日が休みの日であることに、少しでも前進する好機と感じ、動きながら先を創って行く気持ちが生まれます。この地が永遠に光でありますように、狛江での開催を心よりありがとうございます。