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新しい時代の幕開け


第一部「幻想的な世界」

幻想的な世界は非現実的でありながらも魅力的で驚きや感動を与えます。何故、我々は非現実的なことに感動するのでしょう。人の想像力をかきたてます。限界がなく無限の可能性が広がっているため、内面的なクリエイティビティが刺激されます。非現実的なことが感動を呼び起こす場合、その背後には普遍的な感情やテーマが隠れていることがあります。非現実的な物語のなかで描かれる友情、愛、勇気などは普段の我々の現実の感情に深く共鳴します。幻想的であるとはいえ現実を豊かに生きるためには一考を要すると同時に、しっかり経験されると現実がより豊かになります。


第二部「深遠な愛」

愛といえば形容詞はいりません。愛は、愛ひとことだけで通じ理解し合えます。
しかし現実は通じ合えるのは稀でしょう。
宇宙の深遠にそのまま通じる愛なのです。
暴力や暴行とはまったく無縁な愛です。事件性がなければ暴力、暴行がないとは言い切れません。表面的な感情を越えて長期にわたり変わることなく相手の存在やその本質に対する理解、共感がともないます。
「深遠な愛」

歴史が変わり、時代が変わるコンサートの感動が覚め止みません。今も尚、ラストの歴史的演奏と音が心に鳴っています。「幻想的な世界」とのメッセージに、先日出版社の方が「高句麗伝説」という言葉の魅惑的で神秘的な香りに魅かれてならないとおっしゃった事を思い出しました。「人の想像力をかきたてる」「内面的なクリエイテイビテイが刺激される」との表現を考えました。その背後には普遍的な感情やテーマが隠れていることがあるとの表現も心惹かれます。静かで深遠な音にじっと心澄まし、聴かせていただきました。幻想的な世界は美しいです。幻想の源は美であり、美の源は愛と感じます。愛と美の世界には悪は存在できないと見え、悪は自ずと、出ていかずにいられない美しい世界が広がっています。自分の内も闇を寄せ付けず、ただただ美しく在ることを望みます。戦わずし勝つ生き方を学びます。第2部は「深遠な愛」です。幻想的な演奏と聴こえる神秘的な演奏に心惹かれます。私には「それでも人間か」と問い続ける先生の生き様を感じ、どんな時も「人間なのか」と問い続けていくことで悪の心に届く時が来ることが見えました。あきらめてしまった人には「人間を辞めたのか」と、問い続けています。この世で人を殺していい理由などひとつもありませんが、戦争という大義で堂々と人殺しをする悪人に対しては「人間なのか」と問い続けています。神宿る尊い人間の生命を殺して、何も感じないのかと私も問い続けました。それも子供まで関係なく殺していくことへの恐れを知らないのかと。死んだ後の世界を知らずにこの世でたくさんの人を殺していくことの恐れがないのかと。。。先生の音は問い続けています。平和を作る生き方を目の当たりにしました。悪は深遠な愛の世界では溺れてしまいます。居場所もなく落ちるところもない世界に堕ちていきます。あがきもがいても居場所はありません。地球上から悪はなくなると見えます。そして最後には、誰かとか何かの意志も意図もなく、神宿る人間の生命を殺すことは地球上からなくなると見え、追い出している働きが見えました。ふと、アントレプレヌールサロンの時に先生がお話くださいました許しは先生が表現された時に理解しないと人間は終わっていくと見えました。今は地球上に悪を追い出すはたらきがはじまっています。世界は変わり、時代は変わり、人間が生きる世界は完全に大きく変わります。歴史的な瞬間を見ました。いよいよこの日は来たのです。耐えて耐えて受けいれ続けていたはたらきは追い出すはたらきと転換しました。ふと2002年初めてイランにてコンサートを開催したテヘランでの先生のピアノコンサートでの経験が蘇ります。人や社会の重荷を身に受けある苦しみは終わると見え、詩に書きました。涙ばかりが込み上げ、詩を書きました。あれから22年経ち、やっとこの時が来たことに感無量となりました。悪に気を使い生きることは終わりました。私たちは気持ち、本音を表現し実現するように生きていけば世界は平和になっていくと見え、新しい時代の幕開けに感謝し頭を垂れました。歴史的な瞬間の音を忘れません。感動の仙台コンサートをありがとうございます。

コンサート前の幻のコグリョカフェもすべての人に詩を書くことができ、コーヒーを淹れることができました。皆で力を合わせはたらくことの喜び溢れます。巻物は圧巻でした。ありがとうございます。

すべてにありがとうございます。

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夜もライトアップされ、素敵です。