KEIKO KOMA Webサロン

共同


アントレプレヌールサロンをありがとうございました。

 精神と肉体を分断する二元論からの脱却に光明を見出しました。

アマゾンの原住民のお話しに共感しました。周りのことをすべて「自分」とする「共同」の感覚が自分の中にもあるためです。幼少のころから原っぱや雑木林を遊び場にしていました。もちろん虫を殺したことはありますが、気が付くと今でも畑で虫を殺すことができない自分がいます。薬剤や化学肥料を使わないゆえんです。そして、樹が何よりも好きなのです。美しい緑色、爽やかな芳香、心地のよい樹皮の肌ざわり、太い幹に耳をあて抱きついた時の頼もしさや安心感、程よい光と影を落としてくれる優しさ、そよぐ風になびいて鳴る葉々の音、鳥や虫の棲み家となる懐の深さなど、表現しようとしてもし尽くせないものがあります。この感覚が、自分が環境関係の仕事に進んだ原点でもあり、世界的に破壊されていく森林を保全・回復したいとの気持ちから、森林破壊の主な原因のひとつである農業を始めた原点であることを、改めて認識できました。

一方で、「二元論」が問題であることがはっきりわかったことに大きな喜びを感じます。農業をやる中で、野菜の株数を数えて単価を掛けて売り上げを計算するあたりから、自分の頭がおかしくなっていきます。そのような状態では、野菜を商品として対象化してしまうからです。かといって、生産計画や目標を立てないと、事業としての見通しが立たないのでこれもまた困ってしまうというジレンマがありました。また、時間と資金繰りに「追われる」という状態で仕事をしても、良い野菜が育たないことがわかってきています。資本主義社会における自分のあり方に問題があることはわかっていましたが、二元論からの脱却が解決への道とはっきりしました。

また、お話を聞くなかで、科学の問題にも気づきました。最近、自分のあり方を見直すため、まさに野菜の気持ちになって野菜の好む環境をつくり、種まきをするという原点に立ち戻っていたところです。結果としてうまくいっているのですが、自分としては単に野菜の気持ちとひとつになろうとしているだけです。けれども、おそらく科学では、野菜がうまく育っているという「現象」から入って、その原因を、栽培工程や環境条件などに求め、ものごとを細分化し方法論として体系化するなど、本来は精神とモノが一体である一元論的な世界のある部分(モノ)だけを切り取り、「技術」という枠に押し込め、それを押しなべて標準化していくのではないか、そしてこのようなあり方こそが、競争や成長を原理とする資本主義経済のあり方と相まって、自然破壊を招いているのではないか、と感じました。

 

一元論と二元論で見えている世界の立ち位置が違うことが、はっきりと自覚できたのは初めてのことです。資本主義社会の中での事業の「成果」のあり方も再考する必要がありそうです。すなわち、二元論的な生き方での「成果」と一元論的なそれとでは、同じ資本主義社会の中にあって、事業としての結果も異なれば、社会のあり方も異なったものになっていくだろうと感じます。破壊された自然が回復するように人間の身体も回復していくというお話が希望です。そして、一元論的な「共同」のあり方にこそ、人間のみならず同じ命をもつ樹や虫もなど、あらゆる生命の未来があると感じます。

 ありがとうございます。

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