分かろうとする自分
いだき先生、高麗さん、ありがとうございます。
アントレプレナーコース2日目実施頂き、感謝よりありません。
大きく働きかけを感じたり、逆に久々に特大の吐き気を感じたり、私の周りでも何か大きく動きがあるのを感じます。
コンサート、応用コースからここ数日を振り返って、分かろうとしていると分からない、それが分かったようなことがありました。
「分かろう」って何だろう?
自分頭の中での過去検索をして、引き当てよう、という行為なのかもしれないと思いました。
それだと、未経験の場合は引きあたらない、知らないわけで、それで分かるわけがない、分かろうとすること自体が無駄なのかもしれない、そのように思い至りました。
分かろうとする自分が居ます。
理屈に合わないのに。
出来ないことを出来るように振舞おう、持ってなくても誤魔化して発揮しようとしている自分が居るのかもしれません。
それは造られた自分であり、私ではない、かもしれない、そのような仮定が生まれました。
見て分析しようとする自分、それは私ではない、かもしれない。
それを分かる為のヒントが、既に経験したなかにあるのかもしれない、そのように感じさせてくれる動きがありました。
対象化してしまう自分、そのままインプット、そのまま経験する本当の自分、行ったり来たりするのは、もう疲れました。
対象化しない自分、出せる、その時が近づいてきているのかもしれません。
引き続き経験していきます。
ありがとうございます。