東京にて
9日ぶりに東京に帰ってきました。家まで着き、車を降りた時に、思い切り転んでしまい、怪我をしてしまいました。生き方を正されたと感じています。自分の悪い癖や習慣が露わになり、先生にご指摘いただき、気づき、改善に向かえますことに感謝します。
比叡山は汗ばむ程暑かったのですが、仲間がお掃除に来てくれた時は寒くて震えが走り、足先は氷のように冷たかったのです。それでも仲間とお掃除の前にコーヒーをいただきながら、高句麗伝説の話に持ちきりとなり、話足りないくらいですが、お掃除に取り掛かると、体も温かくなってきました。今日も国創りの風が吹いています。今日から新たに比叡山、京都で活動を始めたい気持ちが生まれます。全ての催しが終わり、東京に帰る時は、いつも新たなはじまりです。愛おしい地を立ち去るようにし、若葉輝く木々の輝きに見送られ、東京へ帰ってきました。2日から「高句麗伝説」へ向かい活動していましたが、いろいろなことがありました。何年もいたように感じます。美しい木々の輝き、草花も光輝き、琵琶湖も大変美しく、自然の生命に癒され、力を与えられ、素晴らしい時を過ごすことができました。そして迎えた「高句麗伝説」でした。琵琶湖で戸惑ったことは京都では詩に表すことができたことがうれしいことでした。京都では鴨川の畔に立つ大きな木の下で即興詩を詠ませていただき、共に集うスタッフも詩を詠むという素敵な時を過ごしました。「2008年5月京都からはじまりました」と生まれた言葉は忘れられません。京都で初めて私の心模様作品展を開催したのです。その時鴨川沿のホテルに宿泊していた私はホテルの窓から鴨川を歩く父の面影を探していました。「父も歩いたであろう。鴨川の畔」という詩を書いたのでした。昨日は父の面影は、愛と変わり光となっていました。時代は変わったことに感謝と喜びあふれました。5月1日に狛江の応用コースにてバザーに出した風呂敷に父の名前と住所が白い生地に赤い文字で書かれていたことを知ったのです。大変驚きました。いつこの風呂敷が私の手元に来たかもわからず、何故父の名前が記されているかもわかりませんが、高句麗伝説がはじまる5月のはじめに現れたことに何かのメッセージを感じました。メッセージを紐解いていく時が来るなら面白いと感じます。母が教えてくれた高句麗大福を作りたい気持ちになったことも不思議でした。魂総動員となっていることを感じます。13日はいよいよ誕生日の「高句麗伝説」です。大きな山と感じています。大きな山を乗り越え、その先を生きていきたいです。道中、先生から誕生日の「高句麗伝説」についてお聞きする度に緊張もし、ワクワクは未知なる世界へのときめきでいっぱいです。大嵐の予報が出ています。皆で無事に集えますように。。。ありがとうございます。