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高句麗魂


高句麗伝説は一回、一回が違うのだと京都高句麗伝説の一席に身を置かせて頂き深く理解しまた。びわ湖の高句麗伝説では自分の魂の声が聴けませんでした。京都では自分の中にある歴史的なものなのか、幻想かどちらかはわかりませんが母の郷里に平家の落人の里の伝説があります。母の実家は平家とは何ら関わりがありません。高句麗伝説が終わりに近づくにつれ、平家、壇ノ浦源氏との合戦で、平家は滅ぼされ根こそぎもっていかれたのだと感じ悲しくてなりませんでした。立ち上がる事ができない程の悲しみの中ある言葉が出できました。未来に繋がる言葉ではありませんが、自分がずっと感じていながら蓋をしていたのかもしれないと思い当たりました。高句麗は滅びましたが、新しい国を創る息吹に溢れていたと感じます。日本に残る高麗の地名からも、心一つに生きた高麗人の精神が感じられます。いだきは高句麗の悲願というお言葉にも高句麗の揺るぎない精神を感じました。まとまりのない文章ではごさいますが精神ある民族は、滅びないと身を以て実感致しました。ありがとうございます。

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