1月11日狛江での「高句麗伝説」
今年の1月11日の狛江での「高句麗伝説」を先生が再編集してくださいました。大変お忙しい中をしていただき、心よりありがたく感謝します。道中、とんでもないことが起こっていたこと、その凄さをわかるには一回見たくらいではわからないので、何度も見れば良いとの事等々、お話いただきました。私は早速、持たせていただいた機材にて盛岡の家で聴かせていただきました。音のクレームが多い建物なので、ふと気になり、どのくらいの音量であればまわりに聞こえないかを確認しました。驚いたことに、一番離れた部屋が一番よく聞こえたのです。どんなに小さい音量にしてもよく聞こえたことには大変驚き、小さい音で聴かせていただきました。最初は私の言葉がはっきりと聞き取れずにいました。此の事は先生から編集の方針ということでお話をお聞きしていたので、受け止めました。先生の音が大きく聞こえ、私の言葉がよくきこえずに、それこそ耳を澄ましました。先生から台所仕事をしながら聞けるようなものではなく集中しないと聴けないと聞いていたので、安心しました。ところがある所からどんなに小さい声でも鮮明に聞こえてきたことには驚きました。先生の音と一体となり全ては全体的でありました。全体、全方位、全生命という状態を体感します。毎日聴いていれば身に付くことができる喜びが生まれます。そして私の声は天上と地上をつなぐ音と図形で見えたことも驚きでした。それ故に歴史の縦軸と先生が表現してくださったのだとわかります。天上ばかりではなく、おおいなる存在とつながり、先生とつながり、はるか彼方ともつながっているのです。おおいなる存在とつながっている音を抑えられると、苦しいので、気が狂うと感じることも理解しました。先生の音は生きとし生けるものすべてが現れています。正に全体であり全生命圏です。そして全ては完璧に表現され、存在が現れ出ています。この世の奇跡でありあの世の奇跡でもあり、人類史上初めての偉業を為されているとはわかる方がご覧になればわかると確信しました。先生がおっしゃるように何度も何度も見させていただき、聴かせていただき、何を表現しているのかをわかる経験は今とこれからに必要とわかります。今は京都にて上映会を開催できるように準備をしていただいています。この経験を表現せずしては休めずに取り急ぎのような表現で恐縮ですが、書き込みさせていただきます。大変感動しました。そして内面の奥深くが冴えわたり、覚醒するのです。小さな針の穴程の光から大河の如くの光が広がり、未来は明るく希望と感じ、全てはこれから実現すると見えます。ありがとうございます。