世俗と魂
2024年、高句麗伝説はじまりの日に魂の常ならぬ経験をしました。
夜明前に家を出てバスの中で白い太陽を見ました。東京に近づくにつれて雲の間から青い空がのぞいて高句麗伝説を祝っているように見えてほっとします。そして狛江で見たことのないような荘厳な夕焼け。
受講して30年余りには思ってもみなかったような奇跡ととしか思えないことを沢山経験しています。
私はお金の計算や毎日の暮らしの経費こと、昨年に急激に自律しなければならないことがあって(望んでしたことです)、当たり前のことができておらず正直言えば窮地にあります。すべて自分のせいです。誰のせいでもないのです。それでも魂のことは皆さんの厚意があって身を運ぶことをはこぶことができたのです。そういう後押しがそのまま魂が動いたからと。普通に考えたら其処までして身を運ばないでしょう。
現代に生きていわゆる世俗の暮らしをして毎日を過ごしています。お金の余裕のある人もそうでない人も。。一つと言っても見て解釈したら疎外して嫉妬している状態になってしまう。魂目覚める経験をしてもも一つということは同じではないのです。迎賓館もアントレプレヌールサロンも、新年限定の桐箱も.KOMAGEShA珈琲もマーブリングも皆手に入れたいけれどどこかで我慢して憧れている状態。交通機関も宿も同じではないのです。どんなに迎賓館に行きたくても行けない私のような存在でも先生焙煎珈琲だけは外すことができないのです。
バスタ新宿で夜行バスを待ちながら書き込みをしていました。隣には受講生がいて書き込みを読まないといっています。年齢も職業も様々です。すっと気にかかっている方もおられますが、その方にも助けられています。身障者割引のJRバスの往復にもなれたのですが。
貧しい生活を自慢しているわけではないのですが魂覚醒しても世俗のことをちゃんとできないと片手落ちになってしまいます。。。。。節約だけでは解決しないどころかそれが制約になっているのかもしれません。豊かに楽しく生活する仕方を知らないのかも。。
身障者で何度も転倒骨折して体の動きもままなくても4列シートの夜行バスは隣がいなくてよかったけれどゴミ出しの8時には間に合わず。(余計なことをが気になる悪い癖です)シャワーを浴びて事業所に行ったら調査の仕事が沢山きました。
でも。。。。
もういい加減別の方向で新たな未知を開く時が来ているようです。包摂されているのを待っているような時ではないのかもしれません。自分の中に二人の自分がいるという感覚)もういい加減同じことを繰り返さずに自分のできないこと苦手なことも敢えてしなければ、覚醒した魂が消滅してしまう、いや消滅できないところに来ているからこそ問題が浮き彫りになっている。もう人の厚意に甘えていることはできません。安易に包摂を待つだけでも解決しないのです。包摂の苦しみということを経験しています。
統合の時。魂は永遠の今。書いて整理すると少し落ち着きました。ひっくり返るということは間違えると違う方向に行ってしまうのかもしれません。
素晴しい尊い経験をした今だからこそありがとうございます。