包摂と頭の作った枠
昨日は新春存在論があることはわかっていましたが、まだあったことのない息子の11月に生まれたばかりの孫に始めて会うために出かけました。あっていなくても12月24日生まれの三才の息子の長男や娘の長女、そして家族に囲まれて世俗的には新年の幸せとすっかり成長した新しい生命との息吹に触れていました。
本当にいろいろあった昨年ですが私は深淵の淵表現がぴったりの課題があってぎりぎりの状態です。包摂されている枠にはまっている嫌いな待つ状態です。
今年最初の応用コースには出席できずに配信で参加するしかありませんでした。ところが配信の申し込みがいつもと違って短くて配信の申込期限が過ぎていたことに気が付きました。新年の休業でいだきへの電話もできないのです。このままでは配信することができません。
ここを何とか乗り越えないと深淵の淵に嵌って落ちていくわけにはいきません。
新春存在論の高麗さんの書き込みを拝読していまここが肝心と考えています。個人的なことを誓った自分を忘れてはいません。
ロームシアターで見た不死鳥をいのちは知っています。
今朝もKOMAGESHAからの光を体に入れていることが希望です。