包摂
存在論には参加できませんでしたが、存在論後のビデオ講演会をコーヒー販売の現場からの帰宅途中、アップのお知らせメールがあり、早速聞かせて頂きました。高麗さんのお話しをお聞きしているとその日まで当たり前のように身についてしまっていたことで、特に、まさか包摂などと思っても見なかったこと、(これはできているとか、こうなはず、これで正しい。などなど)で完全に包摂じゃない!と気が付いて行きます。その証拠にそのことで人とぶつかったり、自分自身がうまくいかなかったり、疲れたりしているのです。仕事も自分は個人的にやりたいことなどないので今後はひたすらコーヒー販売をして、もし、新しくやるとしても先生、高麗さんがされることを仕事にするんだ!と決めているのですが、それも自分に枠を作り、新たにやることが生まれていてもわからなくしてしまうのではと感じました。コーヒー販売も新たな道をと考えてやっても少し経つと同じことの繰り返しと気が付き、今後の動きを問うていますが、今している販売スタイルの中で場所を選ばず、どのような状況が来てもどこで販売しても売れる人間に今度こそなることと、動いていく要をいだきの活動にすることをまずはできるようにし、その動きの中で閃いたことを次々にと考えています。先のないことに素早く気が付き、正していくのにはすでにある中心感覚から外れずに生きることを身につけることであり、それにはいだきしん先生のコンサート、講座に参加すること、そして、日々の中でそのまま生きることを身につけることよりないと感じます。ありがとうございます。