いのち
紫式部について書くことを決めてから何冊か評伝を読みましたが彼女の世界観について述べている本はまだ出会えておりません。(いや、小林秀雄のでなく本居宣長原文を読ませていただくことが残っております)どれほどの思いで彰子に中国の古典を進講したでしょう。また、ふとした場に高句麗の占者を登場させたのにどれほどの潜ませた意があったことでしょう。どなたも書いておられないようですので書かせていただくことは不要でないかもしれません。更には欠かせぬ事も。広く知られずとも、まずは私自身の学びとして参ります。昨夜家族が私のために続けてくれていた仕事をやめ、本業、クリエイティブな道に一本化しました。生活は大変になる、コンサートにも行けなくなると覚悟しましたが、いのちあっての今今です。道は開けます。先生、高麗様。本日も尊い講座を真にありがとうございます。受講した身、いのちを粗末にしてはなりません。本当にありがとうございます。コンサート、講座、要を外さず生きてまいります。ありがとうございます。