京都の一日
どこまで激しくなるのかという一日の変化の大きさに、畏れおののく自分にハッとする朝でした。京都らしい湿気から感じることも、13年前、京都に移住してきた時に感じることとは中身が違います。「光源氏の愛」あらわしていただき、初めて、正しく理解、受容していただけたということを、身内のことのようにし喜んでしまう様はおかしい事でしょうか。高麗恵子さんが「京の四季」と題し、詩と写真の素敵な和紙本を制作して下さった京都は、1989年「高句麗」コンサートが開拓のはじまりと考えます。つい昨日のことのように旧京都会館でのワンシーンを想い出します。来月の、魂の表現による活動がとても楽しみになりました。その前の東北活動、その前にあたるこの度の凝縮された大きな一日は、かけがえのないことでした。西洋かぶれしてしまった頭も身体もどんどん変化し解放されていくとわかります。京都の地にて、「光源氏の愛」についてお聞きできた瞬間瞬間は宝となりました。いだきしん先生の存在あらわれ、ハッとするとき自分が更に自由になっていきます。高麗恵子さんのお話をお聞きし、出会いを待つ大勢の魂を感じます。真の日本女性、女性性あらわし、永遠に生き、永遠に働いていけますことは幸せです。なんとしても、女性、子供たちが真にしあわせに生きれる社会を築いていきます。しなやかさが、強いことには必要と学びました。最強のリーダー、おおいなる存在共に活動できます今のすべてに、心より感謝申し上げます。
ご移動が、少しでもスムーズでありますよう、心より願っております。京都までおいで下さりありがとうございました。