存在
昨日は京都事務所でのいだきしん先生の存在論に続き、会場を変えての高麗さんのビデオ講演会、そして先生の応用コースに参加させて頂きありがとうございました。
一切の矛盾の無い存在、人間は皆個別であるが故に普遍性は無く科学には成らない存在。存在というテーマの魅力の世界にはいっていく存在論の始まりでした。人類の哲学の歴史を時空を超えて学び、頭の中は時間の無い宇宙をも経験しているようで、知ることに興味尽きない最高に大好きな講座です。
府中でのコンサートメッセージ「光源氏の愛」についてお話いただきました。「視点」のお話しは、物事をどのように読み解くか、答えを出していくか、物の見方等、身体に電撃走るように要の一つを教えて頂いているように感じ受け取りました。光源氏の愛を知らずに愛や平和を語れるのかとの問いに「光源氏の愛」をテーマに愛を表現し経験させて頂きましたコンサートと続く講座でのお話しに改めて次元違う経験をさせて頂いている恵みをしります。光源氏は、聡明で賢くて美しい女性を好きになった。権力の中にありながら、ずっと愛から外れず愛に生きたとのお話から、今の時代において世俗に一切かすらず愛に生きる希望をみました。
除く、内面にある余計な物を取り除き、確実に「何か」に出会っている。「何か」という存在に出会い、エネルギーはどんどん強くなっていかれた。そしてまずは霊的なもの、引っ掛かっているものを排除していく。それも命取りに来る程の霊的なものを相手に勝っていかれるお話に先生の生き方をしりました。存在論からみれば神も存在者であり、霊的なものと一緒に存在者としての神が来る。次に世界中の神々も来る。先生からよりお聞きできないお話でした。いだきの世界に身を置かせて頂いてることを分かっていけるように心しました。
高麗さんのビデオ講演会では、「光源氏の愛」や京都、恋、魂の表現をお話下さり、過去に報われなかった魂が今はキラキラと高麗さんの元に集まってきている光景見えとても楽しくお聞きしました。恋にまつわるネーミングの商品作りのお話は、これから出会っていく方々との魂ときめくやり取りの情景見え笑みこぼれました。ことばは命、何年もかけてやっと出会えたことば、生まれた言葉はかけがえの無いものであり、それをただ良いと思ったぐらいの気持ちでウェブサロンのタイトルに使ったりということが、そういう問題ではないという事を再々お話頂くことで気づき、直していける機会となりました。直していきます。
応用コースのピアノのご演奏は、「光源氏の愛」、宮廷、京都、雅、時に強く激しい情熱的な愛、はかなく透き通るような清らかな愛、様々な愛の表現を、舞台シーンを見るように経験させて頂きました。
人間の根底から変えていくことをやめないので、身内の近い人々からやられていってしまうお話は、それでもやめないでずっと今も戦い続けておられるから、今私たちが先生と出会い、今の命があると決して忘れてはならない事です。悲しみで終わらせずに愛を、悲願を実現するまで続ける強さを命でお聴きするよりないお話でした。
福祉施設で働かれている時にお酒を飲めないおばあちゃんがフルーツポンチを食べたい等、施設内に入所されている方々の希望を言える環境をつくり実現されていくお話しは、お聞きしているだけでおばあちゃんやおじいちゃんの喜ぶ笑顔が見え幸せを経験します。一緒に楽しく食事できる自分でいれるように豊かに生きていきます。自分で決めることが福祉の基本とのお話からは、仕事や家庭生活など自分で責任を取る生き方をすることを肝に銘じました。頭はたらく状態にして自分で物事考えられるようにすることが日々大切と実行していきます。ありがとうございます。
西裏玲