魂輝く
第一部「新たな流れ」
想像もできないような「新たな流れ」があります。
想像できたり、思い描くことができるならば「新たな流れ」とはいえません。
今までなかったことですから。
「新たな」とはいえ、全く今までとつながりなく生じているわけではありません。
先を指し示す「新たな流れ」です。
殆どの方達は戸惑うというようりは無視しているのかもしれません。
先駆けるちからです。
ほんの少しでも身体内を感じて頂いて心地よさを感じられたら、
頭脳は「新たな流れ」をしかと受け止め、頭脳のみならず全身が「新たな流れ」に乗れるでしょう。
第二部「我が心」
「我が心」といえば 心を対象化してしまい、
古来から続く心のはたらきがわからなくなってしまいます。
あえて「我が心」といいながら、心は心のままにあらわして
既に心は「新たな流れ」とひとつになるように流れ
いのちのはたらきの中心にあります。
心を魂といってみても同様です。
心ときめく、素敵なメッセージから始まりますコンサート会場の一席に身を置ける幸せに感謝し、今日も人智を超えた先生の表現をお聞きでき、心よりありがとうございます。新たな流れは、今までなかった事ですので、ピアノの音より手がかりがありません。体の内を感じ、心地よい感じを受け止めたら、頭脳のみならず、全身が新たな流れに乗るでしょうとのお言葉を心にました。新たな流れは、知っている感覚ではなく、言葉でも表現できませんでした。ずっと音を聴き、言葉を探していると、後頭部が何かに掴まれている感じで、痺れ、引っ張られました。目に見えない世界が見え、見える図形を言葉にしてきた私は、目に見えない世界を見る目が苦しいのかと考えました。目は、対象化し見ます。どこまでも対象化していく先に解決があるのかと、ずっと見えるがままに、先生の音から見える世界を見ていました。何かが突き抜け、次元が変わりました。更に見えないものが見え、聞こえない音が聞こえる感性が拓かれました。頭の痺れはとれ、捕まれている感覚もなくなり、解放されました。その後は、見える世界をそのまま言葉にしていきました。煤がかかった魂、曇った魂、覆われた魂を見ます。国が滅ぶと魂を表せず、曇ったり、煤をかぶると見えます。高句麗の為に生きた王や、姫の人生を想います。高句麗が滅亡した悲しみに襲われ、強い衝撃が走りました。これほどの悲しみがあるかと深い悲しみを感じました。先日の講座にて、国の為に戦い、生命落とした人にとって、今の日本ではとてもやりきれない、魂は報われないと先生がおっしゃった時に、私の胸の内に咽び泣く魂を感じました。魂は魂あらわせる国があってこそ、光輝くとわかりました。日本はこのままでは、滅ぶと見えます。故に魂表し、生き方を伝えていく、国創り行商活動は、新たな流れに乗っているとわかり、力が湧いてきます。先駆ける力と感じ、喜び溢れます。二部は、ただただ、新たな流れに乗りました。愛の演奏が心地よく、永遠にここで生きて生きたいと望みます。胸の内は、打ち震え、感動の波が押し寄せ、今日も感極まりました。心、魂と新たな流れは融合し、沢山の魂が光輝いています。高句麗王は民が一人でも不幸であれば王は王ではないと生きてきた事が心に浮かびました。全ての魂が光輝く時を創りたいです。
今、盛岡へ向かう道中です。移動中にスマホでの書き込みは苦手です。また、改めて書かせていただきます。ありがとうございます。