アノミーになる前に
応用コース、ビデオ講演会の前に雪が風とともに強く吹雪いたり、晴れたりの京都御所南高麗屋でいただいたコーヒーとタルトタタンは涙が出るほどおいしかったです。京都に来る前に自分の仕事と思ってしていることは何の意味があるのかということをいやというほど感じ、天才どころか自分勝手なのではないかという思いがすっとあって、先生の強い表現のピアノ演奏に見える渾身の光を浴びても頭のしびれがずっと整理できないでいました。世にまみれて別の意味で禊祓をしてるようです。盛岡よりも寒い京都の風に、猶予ない今の時を知ります。比叡山からは春風が吹いていたようですが、自分の本質に立ち戻って何をすべき時かを考えます。明日も存在論、死についての講座をしてくださりありがとうございます。