風を受けて
昨日も暑さの中出掛けましたが暑いと思うと風がふーっと吹いてほっとするのです。
8月6日の原爆投下の日は、97歳の母がおかしくなり急いでミニサウンドシステムをかけたら落ち着きました。母親は霊的に敏感な人なので何かを受けてしまったのだと感じました。私も母親のその体質を受け継いで生きています。
テレビで広島の平和祈念式典を見て鳥肌が立ちっぱなしでした。その日だけで14万人もの方が亡くなられたという事実を前に衝撃を受け頭を垂れるよりありません。8時15分黙祷を捧げました。以前広島の平和祈念館を訪れた時の事がリアルに思い出されます。慰霊の灯火の前で献花をし、涙流しました。脚にケロイドの跡がある私にはやることがあります。
私が高句麗の事を知ったのは母からです。以前祖母が「この西武線の先には高麗駅があってそこに移り住んだ方々が住んでいるんだよ」と言っていたと聞いたのです。
今は遊び人のような状態の私ですが、魂は熱いのです。数日前ふと手に取った本は3坪のたこ焼きの行商から起業した方の本です。世界平和に向けて私にも何かいだきやNPO高麗の為に出来る事は無いかと考え始めました。私にしか出来ないことを。まだ幼子のようによちよち歩きですが、その幕開けが8月9日長崎に原爆投下されたその日のコンサート参加です。そして待ちに待った高句麗伝説コンサートです。大胆なわりには小心者の自分を直します。怖がりなのです。心配性も直します。
先祖の悲願を成してください
空間から今聞こえました。
田中正美