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生きててよかった


三鷹のコンサート、東北センター死について、応用コースありがとうございます。
17日三鷹のコンサートの一部の一音が響き終わった瞬間「生きかえったー」と言葉が出てきました。意識にのぼらない身体の状態だったのだと感じます。

この2週間、京都、東京、仙台とコンサートに参加し、それ以外の日は仕事を入れています(Wワーク)。仕事をしながらコンサートや講座に参加する動きを考え、月の計画を立てて動いています。移動距離の経験から体力が足りなかったと感じます。移動しても疲れ知らずの強靭な身体になりたいと考えています。時間の使い方や身体能力を養いたいと考えています。

先生、高麗さんの動きがいかに凄いものかとひしひしと感じ、頭があがりません。

死についてで、金縛りの話をさせて頂き、「きちんとした食事、きちんとした運動」に取り組んでいこうと考えます。子どもの頃から金縛りがありましたので、発言できたことが嬉しかったのと、いだきに来れなかった2年間を先生に少し話せて、心が晴れました。

社会からも外れ、人間性も失い、孤独をへて、分かったことは、自分に中心が無かったこと。自分自身を社会に合わせて、周りに合わせてつくっていたこと。どんな自分も認めて受け容れていなかったこと。色々ことが相まっておかしな状態になってしまい、精神が狂ってしまったのだと感じます。精神弱っていた時に色んなものがからだに入り込んで(表現しようがない体験)、自分ではなくなり、妖怪になってしまったと感じます。体力、気力、精神力、能力、経済力、全て失いかけぎりぎりの時に、「先生の白いコーヒーを飲みたい」と本音うまれ、結工房のオンラインで買った白いコーヒーを飲んだ3日目に、生命力がむくっと上がりました。一緒に住んでいる祖母と1年以上ぶりに言葉を交わすことができ、祖母は涙を流し喜んでくれたのを良く覚えています。それからはリハビリの始まりです。筋力なくなっていたので、椅子に座ることから始まり、歩くことや運転、働いてお金を得ること、コンサートや講座に参加して常に訓練と考え取り組み、現在に至ります。

あの時、希望をなくし、死なずにすんで良かった。生きていてよかった!と感じます。

この経験から得るもの大きかったです。家族に精神科に入れられたことは、わたしにとっても辛かった経験でしたが、そうせざるを得ない家族の辛さもあったと思います。自分が変になった時に、親や兄弟は、色々と考えてくれていました。外に出れないわたしを兄は車椅子を使って、砂利道を押してくれました。呼吸ができなくなり、救急車を手配してくれたこともありました。わたしが不自由ないように家には誰かいたり、少しでも食べれるものをと母が用意してくれたりと、家族ができることをしてくれました。近くにいるいだきの方々も気にかけて家まできてくださったりとご配慮頂きました。それでも結局、抜け出し口は、自分で気づくよりないのです。

いっぱい泣いて、いっぱい叫んで、感情が無くなってしまったと感じましたが、それ以上にいのちの力は強いです。コンサートを経験するたびに沸々といきる力がついてきます。

生きる喜びがある限り、ひとは生きれます。いのちがいかに大切か身を持って経験しました。震災にあった場所に生き、なを生かされたいのちを大切にしたいと改めて考える機会となりました。すべての働きかけににありがとうございますと言いたいです。

震災にあって流された場所でも、華は綺麗に咲きます。

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大宇宙へ飛翔
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京都コンサートホールにて