KEIKO KOMA Webサロン


京都高句麗伝説をありがとうございました。

いつもは20分くらいのバス乗車時間で京都芸術劇場に着くところ、バスの行き先番号が同じでも近回りと遠回りがあるのを知らずに遠回り行きに乗ってしまい、開演20分前には着きましたが、既に満席状態の会場で関西の方から声をかけていただき、高句麗伝説の海外ツアーでふたり一緒の部屋を共にしながら高句麗伝説を経験させていただいた友が、昨日亡くなったことを知らせていただきました。
最近になって、スマホの動画でお会いし、又会いましょうねと、変わらない声を聴いたばかりでした。涙溢れ、満席のなかで暗くなった会場に一瞬でしたが、閉塞感が襲いそうになり、怖いと思いましたが、一瞬だけのことでした。もう過去の癖も抜けているのに頭はまだ覚えているだけのことです。

登場された高麗さんの黄色地のお着物に新しいときを感じ高句麗伝説がはじまりました。
先生の演奏であらわれる天の音楽、歌声と、高麗さんの即興の表現のお声にしばし聴き入りました。音の世界を知りたいと聴き入りましたが、いつしかそのような意識も歌に溶け込みただリラックスして気持ちがよいばかりでした。
京都に来るまでの新幹線で名古屋を過ぎた辺りから空が軽く、浮かぶ雲も軽く、既に空の次元は高句麗伝説なんだと感じた空と歌声はぴったりでした。

真顕す、真というお言葉を何度もお聴きし、真を顕す生きる本流に乗れるか乗れないか、心身の変化があります。

海外、とくにヨーロッパに行ったときに感じるのは、教会の建物をみたときに闇より感じなかったことが何故なのだろうと自分のなかではありました。
ヨーロッパに多い先の尖った屋根を持つ石の建造物も闇が造った建造物だと感じていました。聖書も教会も知ることなくなにも考えない楽観者として過ごしてきた時期が長かったですが、イエス様を十字架に掛けた子孫であることが浮き彫りとなる現代を生きてきたことが今ようやく自分もわからざるを得ないです。

親しかった友と今日のびわ湖高句麗伝説も共にできたらと願い参加させていただきます。

遅くなりましたが、高麗さん、お誕生日おめでとうございます。
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仙台高麗屋にて
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ウラジオストクにて