いろんなことがあっても生きる未来
トシを重ねてくる中で、会いたい人と会えなくなることがあるのだということが少しづつ増えてくるようです。会いたい人がいるのは幸せだと感じますが、会いたくても会えなくなることもある世の中は悲しみです。
昨日のコンサートではそんなことを想いながら経験させていただきました。
愛の音のなかでは自然とチカラが抜けていきます。チカラを抜こうという意識がまるでないのに愛の音と体はひとつになり、チカラが抜けていく連続です。木々の枝が伸びて宇宙へとひろがっていくかのように、悲しみを含んだ葉はキラキラと光りになりながら宇宙へと伸びていくようでした。
音楽仲間だった昔の友達から昔の仲間との集いに誘われましたが、あまり気が乗らず、冷たい返事をしてしまいました。
コンサートのお知らせをしても一度も来ない付き合いに積極的に集う気分になれないからでしたが、トシを重ねた友人からすると、いつ何時、会えなくなるかわからないから自分は真面目なんだよということを聞き、そういうことも起こる年齢なんだと改めて思いました。
周りからは、いつどうなるかわからないのだから好きなものを食べたり飲んだりできる内にとか、よく聞くようになりました。幾つになっても可能性を伸ばせるように生きることはいだき以外にはないのを知らず知らず周囲から叩き込まれるような言葉に溢れています。
自然の光のなかで力むことなく、可能性を諦めることなく、人と境をつくることなく、会いたい人とはいつでも会えるように願いながら、コンサートでは生命のつながりを感じます。