慰霊
第一部 「慰霊」
死んだ人の霊魂を慰めること。
霊魂を慰める。どのように、と問うのは酷でしょうか。
ほとんどは何らかの宗教儀式でしょう。
本当に慰められているのでしょうか。
霊魂の存在すらあきらかに理解されない人々によっては
慰めなどということは叶わないでしょう。
生命が軽んじられ、実際に人々が生きている関係ですらなかなかままなりません。
霊魂不在のあらわれです。
生命を軽んじる風潮は続きます。
戦争なぞやっていられない時代に、どのような大義があって
尊い生命を奪っていくのでしょう。
死者と魂と今に生きる身体とは、少しの狂いもなく通じ、つながっています。
「慰霊」は一人一人の人生そのものです。
第二部 「愛は基本か?」
広辞苑によると、物事がそれに基づいて成り立つような根本のことが
「基本」の意です。
基本というと何かとても正しそうに聞こえます。基本さえしっかりしていれば
何事にも応用でき、何でもうまく出来るような気になり、実はそれほど出来るように
なるわけではありません。
基本が足りないからというアドバイス等を受けて基本を身につけようと
真面目に取り組んでみても何も楽しくありません。
学校教育における基本は、基本という枠内での基本で、更に応用といっても
その基本の枠をこえられない応用にすぎません。
「愛は基本か?」
愛はゴールがない素晴らしいスタートです。
昨日は東京大空襲であり、今日は東日本大震災が起こった日です。夜も苦しみを感じていましたが、先生が苦しみを身に受けながらも平静におられるお姿を見、頭が下がるばかりでしたので、私ももがかず、苦しまずに、じっとし、そのままにいました。昨日貧血を起こしそうな時に先生にお会いし、先生は私などが想像できない苦しみを身に受けられているのに、どのように為さるのかと尋ねたのです。じっとしているとのお答えをいただき、じっとするとの言葉の状態を考えました。焦らず、もがくことなく、苦しまずにじっとしていることで、過ごすことができました。今日も、苦しくて変な状態でしたが、じっとし、府中に向かいました。ちょうど会場に着いた時が2時47分でしたので、車の中で黙祷を捧げました。日本全国、世界各地の方が黙祷を捧げる時間を共にし、霊魂や魂のことを感じていました。たった一度の人生が報われない生き方で終わることはあまりに悲しいことと身に染み感じます。ちょうど、ビデオ講演会でもお話しさせていただいていましたが、3月11日のコンサートをお勧めさせていただく時、あまりに軽んじられていることが悲しく、憤りまで感じました。今日のメッセージにて生命が軽んじられていることは霊魂不在のあらわれとの表現に深くうなずくのです。これでは人類は終わるよりないと甚く感じました。それが故にいだきをさせていただき生き延びていける生き方を見出し、新しい世界を作ることが必要と考えていますが、人の生命を軽んじる現状を打破したく、今日のコンサートで動きを見出したい気持ちでいました。
ピアノの音をお聴きしていると、自分の生命の内にある霊魂の存在に気づくのです。この2ヶ月は、体の痛みに苦しみました。毎夜紙に気持ちを書き出し、徹してわかりたく整理しましたが、自分でもどうしてこうなのかと考えてしまう苦しみの元に行きあたるのですが、そこ止まりとなってしまうのです。この苦しみは何なのかと、毎日考えていました。今日の演奏をお聴きし、その苦しみがそのまま現れました。驚くことにその苦しみは霊魂だったのです。自分ではどうすることもできないものであることに最近は疲れ果てていました。自分の内にある霊魂の存在に気づかず、自分と思い生きてきましたが、苦しかったのです。霊魂であると気づき、先生の演奏を聴かせていただくと、それこそ、浄化され、光となるのです。つくづく、過去に生きた人の霊魂、魂が報われることなくして今を生きる私達の気持ちが活かされることはないと、母が亡くなった翌日の講演会にて書いたことを身に染みわかりました。いつもこの胸の苦しみに苦しんできました。自分はおかしいのかと考えてしまうことがありますが、それはこの苦しみ故なのです。昼間は、何でもできる気で、気持ちが大きく、活発に動けますが、夜になると胸の奥の苦しみに襲われ、自分はできないと鬱になっていくのです。今年になってからは、自分で自覚できる程に夜になるとあらわる苦しみに苦しみました。まさか霊魂であったとは今日のコンサートを経験するまでわかりませんでした。霊魂と言っても完全に自分の感覚や性格になっているもので自分と思っていた感覚です。生命の内にはあちこちに霊魂が潜んでいると見え、浮き彫りとなり、光に変わっていくのです。正に自分の内にいる霊魂が慰霊された感覚となり、痛んでいた腕や手に見える霊魂が光に抱かれ、慰霊されていると見えた瞬間、涙込み上げました。霊魂も共に感謝し涙していることがわかりました。感謝の気持ちいっぱいで、一部が終わりました。大変楽になっていました。そして私には合点がいく経験でした。「死者と魂と今を生きる身体は少しの狂いもなく通じ、つながっています」とのメッセージがよくわかりました。
いつもように休憩時にウクライナの方々にご挨拶に伺うと、皆様大変喜んでおられます。先生のコンサートは別次元とすぐにおっしゃいました。今日は、ウイグルの方もお越しになっていました。お越しになった時は、怖がっているようなご様子でしたが、休憩時は安心しておられました。
2部は、愛に抱かれ、心地よく幸せでした。メッセージの「愛が基本か?」を考えました。学校教育の基本についてのメッセージはよくわかります。愛の演奏に包まれ、私には愛はいだきであると聞こえます。いだきで生きれば、愛の花が咲き、愛の実りが生まれる光景が見えました。愛の風に吹かれ、愛の香りに包まれ、私はなんでもできる気概が生まれます。いだきで生き、愛から生まれたことはなんでも実現すると感じ、内から力と勇気がみなぎってきました。恐れもなく不安もない、素晴らしい体感でした。基本は愛であり、いだきであるとわかる経験でありました。そしてその光景が見えました。ただただありがたく、感謝よりありません。「愛はゴールがない素晴らしいスタートです」とのメッセージを心の中で言いました。いだきはゴールがない素晴らしいスタートですとも心の中で言いました。愛といだきはひとつと感じ、いだきで生きることができれば、愛が実現するとわかります。これからは希望です。私の内の霊魂が光に変わると、空間とひとつにつながり、空間も光となり、連なる霊魂も光となります。この状態こそが慰霊であり、魂が報われる状態とは明らかに見え、体でもわかりました。生きている人間が光輝き生きることは過去に生きた霊魂も報われ、光となり、霊魂が報われると今を生きる人間が光となると同時であることも経験させていただきました。霊魂のせいにするような表現はできませんが、人の動きを見ていると、霊魂に動かされているように見えました。的外れな動きをする人は霊魂に動かされているとも見えます。私には妙に合点がいくのです。光になると世界は身の内にあり、世界平和実現の為になんでもできる気概が生まれますことが真にありがたいことと感謝します。
先生のコンサートの威力はウクライナの方やウイグルの方の喜びようを見ると、本当にすごいと感服します。戦争を経験し、未だに戦争が続いている現実に、精神的に大変な状態にあることをいつも私は気になっています。治療を受けている方もおられます。が、どなた様も先生のコンサートを経験すると、本当にやすらぎ、安堵し、心が平和になるとおっしゃいます。瞳を見ると、そうであることがよくわかるのです。ウイグルの方も不安げで警戒しておられましたが、表情がすっかり変わり、安心されたようで、お帰りの時には私に食事の誘いをしてくれました。2部の演奏中、私が愛と呼ぶ演奏をお聴きしていると涙が込み上げる程、魂揺さぶられ、感動します。こうして皆様と共にこの経験ができて幸せと心の中で叫び、涙しました。やはり世界中の人と共に経験したいコンサートです。気持ちを実現していくように生きて参ります。東京大空襲、東日本大震災、原爆、戦争。。。あまりに酷いことが起こった歴史であり今も繰り返される世界の状況です。人間の生命が軽んじられ、尊い生命が犠牲になることはほっておいてはいけないといつも強い気持ちが生まれます。皆で本気になり生命が犠牲になることを終わらせる動きを作ることが必要と考えます。今日も本気になりやっていくと強い意志が立ちました。本音を表現し動くことで新しい世界を作っていけますことが真にありがたいことです。実行していくばかりにします。ありがとうございます。
明日は六本木本社地下ギャラリーにてビデオ講演会を午後4時からさせていただきます。