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3/2 三鷹コンサート


3/2という、いだきがはじまり40年目の大切な記念日にコンサートに参加させて頂き誠にありがとうございました。
当日、急遽一緒に参加する予定の母が腰が重いのか待ち合わせ場所に現れず、私は心底ガッカリしてしまいました。生活習慣病を抱えながらも食生活を変えられず、コンサート参加が母の健康維持に必須と考えている娘の気持ちは通じず、鉛を入れられたように内面が落ち込んでしまいました。一方コンサートの一席が空くのは勿体ない為受講生仲間に急遽声を掛け、知り合いの方がご参加下さる事になり良かったです。
コンサート第一部では「尽くす」ことに徹する事が出来ない自分自身を感じていました。母の為に日々忙しい中時間や体力を使っているのに、何故よりにもよって娘が1番大事に考えているコンサート参加を不意にするのだろうか…、もちろんそれは個人の自由である事は理解しているのですが、どのように考えても、過去の生い立ちからくる何かが引っ掛かりスッキリしませんでした。「尽くす」事は母との生活だけの話でなく、ケアの仕事、活動にも共通する自分の在り方であり、相手のありのままを容認出来ない自分の現状を考えることは続きます。
第二部をお聴きしながらふと、母がこの世から居なくなってしまったとしたら、ガッカリしている今の私をその時の私は羨ましく感じるだろうと感じました。生きていてくれるからこそ持てる感情であるとわかり、又落ち込むぐらい大切に感じる相手がいる事はとても有難いこととわかると涙が出てきました。生きていてくれるだけで支えられているのです。それはケアに入らせて頂く方のご家族にも共通の気持ちであるとわかりました。ご利用者様が全く身体が動かず寝たきりの状態であっても、ご家族にとっては生きていてくれるだけで支えてくれている大切な存在なのです。それがわかると、戦争によって大切な人の生命が無差別に奪われるという事はあってはならないと強く感じられ涙がポロポロ流れました。しかし自分の経験に共通する事には心が動きますが、自分が経験した事がない悲しみや苦しさに関しては、意識の分厚い壁が隔たり心が動かない事を次第に感じ始め涙が止まりました。先生の演奏されているお姿を拝見すると無条件に全存在に向け尽くしておられる愛を感じられます。しかし私の意識は自分が経験したことの無い事態に対しては抵抗というより”無感覚”という分厚い壁があり、「愛」を誰にでも働きかけるようには行動出来ない状態でいるのです。それでも愛を感じる演奏をお聴きし続けていると、少しづつ分厚い意識の壁に小さな抜け穴が空いたように感じられました。
意識が人を隔てている事をわかります。
まずは自分から壊していくことが必要ながらも簡単には行かない事も同時にわかりますが、気付きが始まりと感じます。
今の自分の現状をわかり、深く考える機会を頂き、誠にありがとうございました。
「今から、これから」新たなはじまりの時を、心よりありがとうございます。
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仙台 電力ホールにて
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「仙」
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三鷹市芸術文化センター 風のホールにて