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高句麗の虹


先生、ありがとうございます。
高麗さん、ありがとうございます。

真っ直ぐして聴かせて頂こうとしても
悲しくて嗚咽が止まりませんでした。
隣に座っていらっしゃった受講生の女性と一緒に泣いていました。
それぞれですが、一緒に悲しいのでした。これほどまでに会場に居らっしゃる皆様とひとつであると感じながらコンサートを聴かせて頂いたのは初めてのことでした。

落ち込んで惨めな気持ちをおバカな歌にして笑いに変えようとずっと歌いながら運転し、会場に向かいました。友が助手席で歌舞伎の解説の真似事をやって茶化してくれました。久しぶりに私の落ち込みが酷いのを分かってくれていたのでした。

駐車場に車を停め、風の吹く中小さな雨が降り始めたので、コンビニに行くのに2人でひとつの傘をさしました。物凄い風が吹き荒ぶ中、飛び上がらないように2人で傘を必死に引っ張りましたが、追いつかないくらいの凄まじい風でした。傘と一緒に吹き飛ばされ、2人空に舞い上がるのではないかと思いました。傘を畳み、嵐と一緒に会場に入る方々の長い列が動き出すのを見ながら信号が変わるのを待ちました。救急車がサイレンを鳴らして走り、騒然とした中、40周年のコンサートに高句麗の王様の本拠地、三鷹に来させて頂いたと心しました。

コンビニから出て車に戻り、チーズを食べて外へ出ると風も雨も止まり、打って変わってとても静かでした。

不思議な気持ちで会場に向かいながら「すごい歓迎だった」と言葉が出た瞬間、凄まじい風が応えてくれてそこら中が震え、ガタガタガタガタとトタンの翻る音が風の音とともに鳴り響きました。嬉しくなり「これは何?」と笑って声を上げていました。

コンサート会場に入ると美しいお花がたくさんありました。お花の前の受講生もお花たちとひとつにとても美しいのです。あっと思い、お花代も何もしていないのに気が付きました。友と相談し「愛の栞」のコーヒーを買いました。これから仕事をどんどんやっていろいろ出来るような人になろうと思いながらホールに入りました。

ホールの中で神戸の同志の方のお姿を見つけて嬉しくてご挨拶に行き、席が決まりました。そこには京都の同志の方が座っていらっしゃいました。生き生きとしていて問題が起きても一歩も引かずに人と真っ直ぐに向き合い、上映会開催に向かっていらっしゃるのを嬉しくお聞きし「ど真ん中〜!」と笑いました。

お隣に座られたはじめてお会いする方も高句麗人と感じました。大磯でいつもサーフィンをしていらっしゃったとお聞きし「最初にたどり着いた場所?」と同志の方に興奮気味に尋ねると大きな頷きのお答え。「ご帰還おめでとうございます」と喜びお祝い申し上げました。コンサートの今日がその方のお子様のお誕生日だという事もお聞きしました。私の娘は8月23日とふと思いました。はじめてお会いしても久しぶりに会った友に話すように喋ってる自分が居ました。鎌倉に住む前、侍達が刀を持って精神統一しながらサーフボードに乗っている不思議な夢をみた事や、いだきに繋がり鎌倉幕府の頼朝公の後見人だった先祖の歴史があらわれた事、後に鎌倉で先祖が戦死したことなども自然とお話していました。

そしてコンサートがはじまりました。

先生の帯はいつも合図を送ってくれると感じるブルーと銀の輝きの帯でした。コンサートメッセージはびっくりするくらい静かな深い深いものでした。これぞ、いだきしん先生でした。泣いてしまいました。

一部では最近の悲しかった事ばかり浮かんで、胸に刀傷でもあるように感じていました。集中しようにも浮かんでくる、もう起きてしまった出来事が惨めな気持ちを引き起こし続けるのでした。一部の最後にチアのクラスの6年生の女の子の姿が浮かび、自分の娘、りんと重なりました。

二部も涙が止まりませんでした。もう心を閉ざしてしまった娘との事が今の現状に重なっていました。職場で出会った厳しいチアの先生は過去の私でもありました。悲しくて悲しくて泣きました。隣のお席の女性もどれほど悲しいことか涙は止まらないのでした。

傷付いた心に寄り添い、静かに話しかけてくれているようなピアノの優しい音でした。それは、まるで先生がステージから降りてここまで何があったのか聞きに来て下さっているかのようでもありました。まだ私の中にある悲しい事をすべて聞くから話してごらんと言われているようなのでした。

泣けて泣けてどうしようもありませんでした。中にあった悲しい過去の娘との経緯がどんどん浮かんで来ました。普通には生きてゆけなかった過去でした。育った過程で付いた心の傷によって呼吸が浅く、まわりからはよく息をしなさいと言われました。激しい感情に苛まれ、いつも不安定でした。代々続いていて悲しい事でした。

私が居ては娘が駄目になると本気で思っていました。私は消えなければいけないと考えたのでした。消えれば娘は忘れると電話もかけないようにしました。都会の冬の冷たいコンクリートに体を叩きつけて自分を痛めつけました。血も涙もない酷い母親と妹には言われました。それは当たり前でした。

だけど娘は本当に私が好きだったのです。それも思い出されました。同じ世界を共有してその中で一緒に遊んでいたのでした。優しい時間でした。心の奥では唯一の純粋な愛と感じていました。親戚の集まりで「ママは子供なのになぜお化粧するの?」と不思議そうに尋ねた3歳頃の幼い娘を思いました。

その間もピアノの音は限りなく美しく優しくずっと止まる事なく愛でありました。それなのに私は悲しい以外にないと泣き崩れないように何とか座っていました。

第二部は終盤に向かい、ある時、目の前に大きなたんぽぽが浮かび上がりました。大地深くにしっかりと根を下ろし、白い綿毛で世界中何処までも飛んでゆきます。私の作ったフラワーエッセンスの中にたんぽぽがありますが、それはグリーンの光の人たちの特質を表していました。ふいに太陽の光が射したようにもう大丈夫なのだという考えが浮かびました。さぁ、お行きなさいと晴れやかな気持ちで白い綿毛を送り出しました。私は茎と葉っぱと禿頭だけになったたんぽぽのように自分を感じました。執着するものはありません。過去は終わり、子供たちは強いのです。

川面で泣いている美しい女性のイラストが絵本のように浮かびました。彼女は太陽でした。涙は雨となり河に落ちて虹が生まれました。その瞬間、先生の奥様と高麗さんが浮かびました。「高句麗の虹!」と晴れやかに心の中で叫んでいました。五女山が天へ天へと伸びてゆき、立派な宇宙樹となりました。そこに大きなふたつの美しい虹がかかりました。宇宙樹はまだまだ伸びてゆき、天に在る水にまで届きました。

高麗さんのお父様、高句麗の王様が一度でも諦めたことがありましたか?と心の声が上がり、私は同時にそれを聞いてもいました。火事があってお家が燃えてしまった跡でも皆とお酒をお飲みになり、ますますお元気でいらっしゃったというお話を思い出しました。

高句麗の歴代の王様方も一度でも諦めたことがありましたか?

先生が一度でも諦めた事がありましたか?

高麗さんが一度でも諦めた事がありましたか?と声が続きました。

無いのです。一度も!だから今、皆が生きていて、ここに集っているのですと感謝と感動と言葉にならないような気持ちで答えました。もう悲しいのでは無く、またもや号泣しそうでした。

とうとうコンサートは最後の美しい音で終わりました。先生が輝くお姿で目の前に立っていらっしゃいました。悲しみを受け入れて下さったのが分かりました。

先生、ありがとうございます!高麗恵子さんありがとうございます!と拍手しながらも泣き止む事は出来ず、心で声を上げていました。

そして、先生ごめんなさいと最後に言葉が出て来ました。

泣きながら化粧室に逃げこまなければとてもじゃないけれど人前に出られないと思い、慌てて駆け込みました。誰にもご挨拶も出来ませんでした。鼻をかみ、涙を拭いて出ました。

するとウクライナの方々のお姿が目に入りとても嬉しくなりました。1人の方と目が合って微笑み合いました。晴れやかでお花のように美しい笑顔でした。

先生のいらっしゃるところでは、たとえ愛する祖国で戦争が起こるという悲惨な現実に在っても魂は癒され、悲しみは愛と変わり、存在は真の光をあらわし美しい輝きを放つのだと涙がとめどなく流れたまま、友と帰路に着きました。

今朝起きて悲しみは消えて愛だけが感じられました。

昨日求めたコーヒーを友と2人でいただきました。最近はお互い心の鎧を脱ぎ、深いところまで語り合えるようになって来ました。とても嬉しい事です。限りなく優しいまぁるいコーヒーの味にまた涙が溢れ、愛だけが感じられました。

いつもコンサートで未知に行き着きます。あまりに恵まれています。こういう気持ちをどう表現したら良いのかと戸惑う新しい愛に出会い、また出会い、溢れて来るのは言葉にならない気持ちと涙と感謝ばかりです。真にありがとうございます。

 

 

 

 

 

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