正直でいたい
しばらく引っ掛かっている言葉がありました。昨年末の京都での応用コース。どうしてみみっちいループに嵌まり続けてしまうのかを質問させて頂いたところお答えいただきました。ただ最後に無理にやらなきゃいけないものでもないと仰ったのが引っ掛かっていたのです。
その後コロナに罹り、陰性反応が出た後でも、起き上がるのも何をするのも嫌になる日が続いていました。ジレンマを抱える日がしばらく続いていました。抱えるのが嫌になった先日、こんなに苦しさを感じるのは、頭でっかちな自分に原因があるのかもしれない。頭でっかちなことってなんだろう。分かった気でいること?今までいだき先生が仰ることを分かった気でいたけれど、じつは全然分かっていなかったんじゃないの?だからついつい、「やらねば」と思い込んでしまう。そもそもなんでやらなきゃいけないの?人生に意味を感じたいからでしょう?いだき先生が分かっていたとしても、自分が分からなきゃ人生に意味なんて見出だせないじゃないか。やらねばと思うことはやらず、やってみてもいいかなと感じたことをやってみたいと思いました。やってみると、コロナ前は結構自分なりにはうまくやっていたんじゃないかと思っていたことは、じつはねばねばで頑張ってやっていたこともあったんだなと分かりました。
そんな不安定な状態でのコンサートの参加。第二部のメッセージに今の自分の状態をズバリと指摘されたようでドキリとしました。そして同時に嬉しさも感じました。そして音と生命がお話をしているように感じました。喜怒哀楽、自身が表現できないことをいだき先生の音が受けとめて下さって、そしてまた返す。かけがえのない経験ってこういうことを言うのかなと、一つ一つのやりとりがとても大切に大切に感じて、一音も耳を背けたくないのです。自分の浅薄さに悔しさを感じてきました。
もう一度メッセージも見返してみたいです。
今日は本当にありがとうございました。
中川秀之