国
第一部 「流れ、連動」
身体の歪み、骨の歪み、心の歪み、社会の歪み等、歪みに満ちた社会環境で
日々生きていくことを余儀なくされている現代社会です。
歪みは流れを阻害します。
流れといってもなかなかピンとこないでしょう。
生活習慣が歪みをつくります。
ゆえに生活習慣を正しましょうということが普通に言われるようになりました。
もともとの流れ、体でいうと連動してはたらいて、はじめて流れを実感します。
流れの実感がないところで生活習慣をどのようにして変えられるでしょう。
例えば運動することは大事です。体が歪んだまま、即ち、流れがわからないまま
運動した場合、時により歪みがひどくなり、運動はなかなか出来にくくなります。
ピアノのリズムによって歪みを正し、流れ、連動を取り戻すことを只今から致します。
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第二部 「愛は流れ、連動を誘発します」
愛は評価の対象になりません。
流れ、連動を阻害する何ものも愛とはいえません。
愛は宇宙の中心です。宇宙を無視して我々は一瞬たりとも存在できません。
愛とは言っていますが愛は言葉になりません。
言葉はとても便利で人間があみだした最高の人間の特徴をあらわしていますが、
言葉によって評価され、善悪、あるいは美醜などの価値を定めます。
ともすれば、この評価は、大事な愛の流れ、連動を止めます。
飛躍の年です。
私にはこれほど必要なメッセージはないと感じ、心から感謝し演奏を聴かせていただきました。宇宙と一体と感じる大きな無限な世界全体が鳴っているようなダイナミックなエネルギーに満ち、自分の身は、宇宙空間に浮遊しているようでした。体の歪みも心の歪みも、頭の歪みも素通しに見え、修正していただきました。社会全体の歪みを修正していると見えた時の演奏は地球全体が動いているように感じました。とてつもないエネルギーで地球の中心、生命の中心、人間の中心を正していただきました。そのあとはすぐに力が入る私の力が抜け、宇宙空間に身を任せました。腕や手の裏側に隠れるようにしへばりついている霊魂が見え、悲しくなりました。演奏をお聴きした時、奈良の春の野山が見え、大和の国を作った魂を感じていました。私の手や腕にへばりつき、一体となっている霊魂も光に包まれ癒されました。手や腕の痛みの原因を見るようでした。骨にもへばりついている霊魂が見え、光に抱かれ、闇が光に変わりました。どこから生まれるのか、どこから湧き出てくるのか想像もつかないダイナミックな先生の演奏の力にただただ畏れ入り、驚くばかりです。歪みやずれは吹き飛ばしていくエネルギーは爽快で心地よいばかりでした。万歳したい気持ちです。一部が終わり、ウクライナから避難してきた方のところに伺うと、今日初めてこられた方は涙ながらに感動を伝えてくださいました。先生の演奏は言葉を超え共に経験できますことの凄さに感動し、喜び生まれます。
第2部は、流れ、連動ということを自然と考えながら聴かせていただきました。体の中で流れが見えてきたからです。流れを押しとどめているのは言葉であったり、頭の働きであると見えます。そして2部も大宇宙空間に押し出していただき、頭も体も生命丸ごと、光のシャワーによって洗われているようでした。歪みも滞りも何もかも洗い飛ばしてくださいました。小さな世界で生きていたら、流れを留めてしまいます。無限な世界で生きる生命とわかります。地球に着地したと感じた瞬間、「日本は仮の場」と心の中でつぶやきました。幼い頃に呟いていた言葉です。そしてどこにいても日本は自分の国ではないと寂しさを感じていたのです。高句麗の地へ行った時の喜びは、生命全てが喜んでいます。何が楽しいかわからずに満面の笑みが生まれるのです。ただただ楽しく、幸せを感じます。生まれた時から日本にいてあれほどの喜びを感じたことがありませんでした。国というのは人間が作ったものですが、国を失うということは生命亡くすことと等しいことを亡命という言葉から身に染み感じます。自分の国に帰りたいと望む魂の叫びと共に胸の奥深くから悲しみが込み上げました。涙にもならない悲しみはこんなにも悲しいことを初めて知りました。私の手や腕、あちこちの骨にしがみついていた霊魂が現れたことにより感じたことでしょうか。今までにない悲しみを感じました。アンコールも宇宙全体が鳴り響いていると感じる程の大迫力とダイナミックな演奏に、過去は何もかも吹き飛び、新しい生命で生きていける喜びが駆け巡ります。先生のコンサートは根源解決の場であります。ありがたくてたまりません。霊魂を受ける痛みは薬を飲んでも効きません。先生のコンサートでより解決しないのです。本当に助けられ、心から感謝します。ありがとうございます。