優しい
第一部で整えていただいた身体に、第二部のメッセージが届き、涙があふれていました。演奏から人間の源を感じていました。人間の源は優しい、人は優しいと感じ、涙が止まりませんでした。人は優しい、に続き、母は優しいと感じ、今までにない感覚を感じていました。母は本当は優しかったと感じたのです。生命は本当は優しかったのですが、母は周囲の目を気にし、世間体を気にし、子供が秀才であることを望み、私はそれに応えようと必死になり、自分の主体性を喪失していったことを思い出していました。母は周りの目が怖くて、恥をかかないように、私の一挙手一投足を見張っていたのだと突然気が付いたのです。母自信が苦しかったのだとわかると、涙よりありませんでした。両親には、今でも、元気で前向きでうまくいっている自分の姿より見せられず、マイナスなこと心配されるようなことは一切言えない状態は変わりませんが、これがいつ始まったのか、ずっと思い出すことができずに今日に至っていました。今日のコンサートでその始まりを思い出しました。2歳か3歳くらいのときに、妹を育てる母があまりに大変そうだったので、自分は我慢すること、手のかからないいい子を演じることを覚えたのだと思い出しました。幼いころに染みついた癖がしつこく残っているだけで、原因は全く大したことではなかったと気付き安堵しました。第一部の演奏の最中に、こうあらねばならない、の意識があまりに強く、胸が詰まっていることを自覚し、演奏と共に流れていく経験をしていたときに、自分に対してこうあらねばならないと課している状態は同様に人に対してもこうあるべきだと強要していることにも気が付きました。第2部ではすでにその枷は外れており、母が私にこうあってほしい、こうあるべきだと強要してきたことと全く同様に私が母に対してこうあってほしい、こうあるべきだと強要している状態にも気が付きました。周囲の評価基準を満たすようにつくられたこうあるべき、という姿は全くの幻想であることを感じると、良いも悪いも、正しいも間違いもなく、生命はただそのままで優しい、評価されることではないと感じていました。長年どうしても答えに辿り着けなかった、母を恨む感情を変えられなかった、根深いところで歪んでいたものがはじめて整理できました。ずっと涙は止まりませんでした。最後のアンコール、自分の中から何もとらわれる感情がなくなると、この状態から創造は生まれてくると感じました。
コンサートのあとは、普段経験しないほど全身が脱力し、休みました。大きな気づきを得る期会を頂き、本当にありがとうございました。