KEIKO KOMA Webサロン

内面


存在論、応用コース、ビデオ講演会、そして京都での先生のコンサートとありがとうございます。今まで積み上げてきたと思ってきたことが壊れ、不安に苛まれていましたが、新たに創っていく時を迎え、ターニングポイントのようなこの度の京都からの経験です。

存在論から応用コースにかけては、「自明」について、問うことをしなくなった社会のこと、世界的に教育から「感じる」という事が抜け落ち、戦争の事も含め、今の世のありさまになっていることが全体的な視点から見えてきました。質問をさせていただき、世間にはまりながら自明のままに来ているのがありありと露わになり、高麗さんに出会い、先生に出会えなければ、今ごろ命落としていたということ、20代のはじめの頃、生命の危機を感じたことのことも浮かびました。先生、高麗さんに会い続けにきているのも、成したいことあり、身を運んでいるのに、世間に浸かっている状態、経済社会に飲まれるまま、先生のおっしゃるとおり「わかってない」、言うことやってない、例えば先生のおっしゃっくださる書いて整理をしたり…という事も、疲れにかまけて内面のことがなおざりになる状態を情けなく、恥じました。京都で伺うビデオ講演会は、高句麗の地の風がより近くに感じられ秋の香りが伝わってまいりました。

翌日、幻のKoguryoCafeでは、生命の詩を書いて下さり、魂の悲願と感じる切なる気持ちが高麗さんに詩で表現して頂くことで涙がどっとこみ上げてしまい、更には今の現実を受けとめ、コンサートに向かう心構えとなりました。京都コンサートでは、個人的にショックと感じていたことから海の底にいるような感覚でしたが、だんだんと解けていき、重荷もはらわれていきました。1部から頭がスッキリ聴くことができたら2部では、内面に大陸をかけめぐる勇者・勇士の存在が見えました。馬に乗りながら、弓を的に射る事がどうしてできるのか、違うことを同時にやりながらなぜ、同時にやれるのかと考えていました。考える間もなくやるスピード、走りながら瞬時に的に射る、その姿は王様のお姿とも重なります。ものを為していくに必要なことが見え、やれる勇気と気概が生まれ、何にも乗り越える力が湧いてきました。京都で聴く先生の表現は、いつもとても世界的です。

数日前のビデオ講演会で伺いました、日本が全体的に落ちているとのお話、それは確かに自分やまわりでも数字で表れているところです。削られていくという場にいても先は見いだせず、例えばDXについて全くワードさえ出てこない企業だったりします。まわり、状況を変えていく在り方へとという高麗さんのお話に希望を感じました。コンサートで経験した、内面に照準を合わせると生きていける感覚が広がってまいります。

京都には、大卒くらいの男性が静岡の受講生の方とコンサートにいらっしゃいました。コンサートというもの自体がはじめてとのことで、起業したいと未来に希望を馳せて参加され、「パイプオルガンがとにかくすごい、演奏がとにかくすごい」と終了後、瞳をキラキラさせて、すごく良い刺激になりました!と話す姿から感じる生命の輝きが忘れられません。若い方が社会に絶望せず、生きられる出会いである先生のコンサートのこと伝えていきたいと感じました。琵琶湖のコンサート、日本が落ち込んでいくということは、肌で感じますが、状況を変える命になりたいと望み、参加させて戴きます。

尊い、貴重な経験を誠にありがとうございます。

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