魂輝き生きるこれから
第一部 「魂漣漪」
「魂」とは、人のからだに宿り、生命を保ち、心のはたらきを司ると考えられています。
肉体から離れても存在し、死後も不滅であるとされます。また、自然界の万物に宿り
霊的なはたらきをすると考えられています。
よって、気力。精神。心。天分。素質。を意味します。
他にも様々に人であることの中心の意味に用いられています。本来はこのような意味をもっていますが、どのように表現してもなかなかあらわせない「魂」です。
「漣漪」の「漣」は、さざ波の意味です。
「漪」は岸辺に波がおしよせ、小さな波、大きな波が、波そのものの力によって動く様を
イメージしています。
「魂漣漪」とは、魂そのものの内側から湧いてくる種々様々な、ある力、時間差あり、
あるいは忽然とあらわれる魂などを表明します。
第二部 「時 来たり」
地に種が落ちて芽が出るように
身体内で魂が新たに目覚め
全身を新たないのちに育むように芽生えます。
一時、体内で違和感をもたれるかもしれません。
地に落ちた種は太陽のエネルギーにより地面からの養分とともにすくすくと育ちます。
魂は肉体の中心にあり、新たに芽吹くようなその時、
宇宙から注がれる大いなるエネルギーに出会い、魂は輝き、
いのちを未来に押し進めます。
素晴らしいメッセージに心が踊りました。今日は今までになく、腕が痛んでいました。会場に着いて先生にお会いした時にどうしてか、と思わず口にした時、どうしてかとそんなことやっているからだめなんだとの言葉を受け、考え続けました。ピアノの音をお聴きした時、懐かしくて胸が震えました。涙ぐんできました。亡父母の魂を感じました。すると亡き兄も「俺もここにいるよ」と光り輝く魂が見え、感じ、涙にじみました。胸の内は「漣漪」という言葉がわかる状態を経験しました。波が押し寄せては引きながら、「波そのものの力によって動く様をイメージしています」という状態を胸の内で感じていました。終わった後に先生から手の痛みは治ったかと尋ねられ、痛みはありましたので、治っていないとお伝えさせていただくと、「時が合っていない」とのお言葉が返ってきました。姿勢を正しました。一部では感動的な経験をしながら、心配事が時折心に浮かぶ状態がありました。これでは駄目だと、気を引き締め2部に臨みました。第二部は音と一体となれ、見える世界も感じる世界もまるで変わりました。この経験をすると、一部では感動していましたが、音を聞き、見、感じていたのだとわかりました。音と一体となると、おおいなる存在とつながり、おおいなる存在からのメッセージを受けているとわかります。ある時には、私が蒼い風とか蒼い存在と表す存在があらわれ、好太王様の存在を感じ、若くして死んでいった好太王様の運命が見え、衝撃を受け、胸がはち切れんばかりに動きました。若くし王になり、戦いの人生だったのです。高句麗伝説の時に「天と共に生きる悲しみ。愛」と詩に詠ませていただきますが、胸ははち切れんばかりに打ち震え、感極まり、涙していました。好太王様と一体となりました。その後、森の民があらわれ、深い森の中に存在する神が現れました。東明王様の魂と出会いました。緑の光に包まれ、悲しみから愛が生まれ、闇の中に光が生まれ、東明王様が現れました。この時も胸打ち震え、感極まり、涙しました。感動の経験と共に多くに気づきました。魂のまわりの煤をかぶっているような状態が見えました。魂の出会いもあればこの煤がかかったような状態の出会いもあると見えたのです。煤をかぶった状態で出会うと、煤をかぶり、次第に魂は歪んでいくようになってしまうということが見えました。魂はあれど、歪んでいては人間としての真の人生は生きていけないと苦笑しました。過去に失敗したというよりない経験が思い起こされました。魂の出会いではなく煤をかぶった状態の出会いであったとわかりました。失敗というのも、自分が思い描いていたようにならないと失敗と感じてしまうことも見えるようにわかりました。思い通りにはならないとは先生にお会いした時からお聞きし、痛い程わかる経験もたくさんしてきましたが、煤をかぶった魂の状態で生きていると思い通りにならない結果となると見えました。ずっと高麗家のお掃除をする夢を見てきました。煤をはらってもはらってもはらいきれずにお掃除をし続ける夢でした。魂に煤がかかる状態がよく見え、わかりました。魂輝き生きていくことが人生とわかり、ピアノの音と一体となりどんどん上昇し続けていくことが楽しく、心地よく、一音一音が愛おしく、夢中で音の中に入り込んでいました。ふと、胸の内で「これから」と言葉にしていました。瞬間、演奏が終わり、拍手が沸き起こり、驚きました。これからもっとお聞きできると楽しみにしていたら、コンサートは終わりとなっていました。人生これからとわかりました。アンコールのアリランの美しく魂震える演奏に更に感動しました。人生はこれからという気持ちとなり、コンサートが終わりました。歴史を紐解き、高句麗始祖東明王様、好太王様の天命を体でわかり、人生変わる経験となりました。もっともっと深いところで人生を考えられるかけがいのない経験をさせていただきました。本音で生き、常に人生を考えてきましたが、今まで考えてきた人生は平坦な道を歩むように考えていたのだと目が覚めたような感覚となりました。人生は原因と結果が一本の道のように見えるものではなく、とても立体的であると考えられるようになりました。腕や手の痛みもどうしてと考えてもわからない状態で傷んでいたのです。広い世界でまあるい光のように生きていけばいいと感じます。真の人生はこれからです。大変素晴らしく尊い経験をさせていただき、多くを考えていける時が生きていて充実し、好きな時です。2部はずっと経験していたいと望み、終わってしまうことが残念に感じました。次の京都コンサートが楽しみです。ありがとうございます。